12/11/2022

2022.11.12(土) #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
イザヤ書51章11節
主に贖い出された者たちが帰って来る。
喜びと楽しみが彼らに追いつき
悲しみと呻きは逃げ去る。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ヨハネの黙示録21章4節
(神は彼らの)目から涙をことごとく拭い去ってくださる。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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今日は朝に黙想をお届けすることができませんでしたが、こうして夜のひと時に黙想する時間が与えられたことに、心から感謝しつつ、明日への備えの神の言葉として受け取りたいと思いました。
 
すべての悲しみをご存知である神が、私たちの目にあふれる涙を、ことごとくぬぐい去ってくださる。聖書の最後に語られる、新しい天と新しい地が私たちのもとに訪れたときに、神が私たちに対して最終的になしてくださる御業について、黙示者は私たちに伝えます。
 
この一週間を振り返ります。そこには必ずしも良いことばかりが私たちにあったわけではないでしょう。つらいことや悲しいことも、私たちに容赦なく襲ったことを思い出せるかもしれません。そんなときに、私たちはどのようにこの一週間をしめくくることができるのでしょうか。神の助けはどこにあるのか。神は本当に私のことを守ってくださるのだろうかと。。。
 
今日、ある方からこんなことを尋ねられました。牧師はしばしば孤独と聞いていますが、先生は孤独を感じることはありませんか?と。私は答えました。もちろんあります。あるけれど、「ロンリネス」な孤独ではなく「ソリチュード」としての孤独を楽しめるように、自分を整えるように心がけていますと。
 
ロンリネスとソリチュード。どちらも「孤独」と訳すことのできる言葉です。しかし、ロンリネスとはただ寂しさだけが募る孤独なのに対して、ソリチュードは、いわゆる「おひとり様」を楽しむことができるような孤独のことを指します。いろいろなものに振り回される孤独は、とてもしんどいことですが、他に振り回されることなく、自分自身を見つめ直す作業としての孤独は、自分の立ち位置というものを確認することができる、とても大切な作業であると言えます。
 
ましてや、私の場合は悲しみゆえに流れ出る涙をぬぐい去ってくださる神が、私とともにおられるという大前提があるなかで、自分自身にとって、そのような神がどこにおられるのだろうかということを、じっくりと確認するための孤独になるときがやっぱり必要なのだと思うようにしています。これだけで随分楽になるというものです。
 
そのためには、ソリチュードとしての孤独になるための環境が必要です。私にとって土曜日は、もしかしたらそういう時なのかもしれません。今日は午後に、かねがね会いたいと思っていた方にお目にかかることができて、楽しい交流のひとときをいただきました。ある意味では「自分のためだけの時間を取り分けること」もまた、大切なソリチュードの作業なのかもしれません。
 
自分のためだけの時間や機会を取り分けて、その営みを通して自分自身を見つめていく。そして、神との距離感や神の助けをどれだけリアルなものとして自分自身のなかで受け入れていくかを確認する作業。この作業があってこそ、ロンリネスとしての孤独をも、客観的に見つめながら、明日の礼拝に臨むことができるのではないかと思わされています。
 
明日の礼拝への備えのとき。このときに私の立ち位置を確認しながら、明日へ希望を託し、涙をぬぐい、喜びを与える神の御業に期待するとき。そんな時が、今の時を過ごしている皆さんの一切にも豊かにありますことを、心よりお祈りいたします。どうぞ、素敵な夜のひとときをお過ごしくださいますように!

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