11/11/2022

2022.11.11(金) #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
ヨブ記1章21節
主は与え、主は奪う。
主の名はほめたたえられますように。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ローマの信徒への手紙5章3~4節
苦難が忍耐を生み、忍耐が品格を、品格が希望を生むことを知っています。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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本日の聖書として選ばれた新約聖書の言葉は、長く「苦難・練達(錬達)・希望」として親しまれたものですが、4年前に出版された新しい聖書によれば、「練達」ではなく「品格」とあります。私はこの品格という表現がとても好きです。私たちが苦難を味わなければならないときに、どのような人生の道が与えられるのかということについて、深く考えさせられるひと言だからです。
 
練達とは、熟練・熟達していることを指します。その道に経験を重ねることで得られるものと言うこともできるかもしれません。一方で「練」ではなく「錬」という文字を用いる場合もあります。金偏(かねへん)ですから、金属を精製するにあたって、熱を加えて叩き、ねっていくといったイメージがあります。
 
そのようななかで考えたいのは、私たちがもし苦難を味わったときに、乗り越えることのできる練達・錬達というものは、誰が主体となって行うものなのでしょうか。それは苦難を味わう本人のようにも思えます。しかし、練達・錬達の主体は、私たちの神に他なりません。
 
そうです。「ねる」のではなく「ねられる」のです。経験を通して得られる熟達さというものは、あたかも私の所有物のように感じるかもしれませんが、その源はどこにあるのかということに、私たちは目を向けていきたいし、今日の聖書の言葉を綴った使徒パウロもまた、そのことを意識していたと、私たちは捉えることができるのだと私は感じています。
 
神によって、不純物の多い金属が熱され、柔らかくされ、溶かされることで精製され、何度も何度も叩かれ、打ちのめされることによって、不純物は取り除かれるだけでなく、頑丈な金属が生まれていく。まさに金属とは私たちのことであると換言することができるのだと思います。こうして生まれるものが「神によって造られていく品格」なのだと。
 
新改訳聖書では「神によって練られた品性」と、この部分を翻訳しています。ここでわかるのは、私たちの抱く品格とか品性というものは、自分で見つけ出して、熟練したからこそ得られるものではなく、あくまで神の言葉と聖霊の働きによって、神によっていただくことのできるものなのだ、ということを明らかにしています。
 
本日の旧約聖書の言葉は、ヨブの言葉です。悪魔のいたずらによって何もかも失ってしまったヨブの苦しみがありました。その苦しさを味わうなかで、ヨブは自分の努力によって子の苦しさを克服するのではなく、あくまで、自分の命をつかさどっておられる神をほめたたえます。神によってつくりあげられる品格によって、彼は神が与えてくださる希望を握りしめて、その苦しさを生きることができた。まさに、本日の新約聖書の言葉に相通じます。
 
いまだ味わう苦労があるならば、そのことをもすべてご存知である神が、今日も私の心を、思いを練り上げてくださいますように。こうして生まれる品格こそ、私を生かすことを希望とすることができますように。祈りつつ歩んでまいりたいと思います。

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