10/11/2022

2022.11.10(木) #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
サムエル記上14章6節
主が救いをもたらすのに、人数の大小は問題ではない。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ヘブライ人への手紙10章35節
ですから、自分の確信を捨ててはいけません。この確信には、大きな報いがあります。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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主が救いをもたらすのに、人数の大小は問題ではない。
 
今日、この聖書の言葉に出会ったとき、私はあらためて大きな衝撃を受けました。「量より質」という言葉を、私は牧師としてどのように受け止め、日々の牧師としての働きに当たっているだろうか。そんなことを痛感させられたからです。
 
牧師として遣わされた教会に着任した以上は、神から託された伝道という務めに誠実に当たりたい。しかし、いつしかその主たる目的が、礼拝出席者数が増えること、受洗者が与えられること、教会の財政的基盤が安定することを通して、自分自身が満足をし、生活が安定することになってしまってはいないだろうか。そんなことを思わされたのです。
 
数の大小というのはとても分かりやすい論理で、大きければ豊かさを生み、小さければ乏しさを示しているように見えてしまうのです。しかし、どうでしょうか。いくら見た目には大きく見えても、内容がスカスカの状態だとしたら、いとも簡単に崩れ去ってしまうかもしれません。逆に見た目にはどんなに小さくても、しっかりとした材料で精巧につくられているならば、それはどんな外圧にも耐えるだけの力を持つことができるわけです。
 
もちろん、教会が数的に祝福されることは何の問題もないことです。しかし、数的なものを、自己満足や安定に対する願望のゆえに求めることを第一にしてしまうならば、それは、今日の旧約聖書に示された神の御心というものとは、全く相容れないものなのだと思わされるのです。
 
教会の営みというものは、キリストのからだの営みなわけですから、それを主導されるのはキリストという神に他なりません。人を救いに導かれるのも神の御業であり、お働きである。その貴い働きを、神は人間に託されました。この地上における教会という集団に。
 
神の御業が私たち人間に託されるときに、では、私たちは神の働きを、神の働きとしてどれだけ理解して、その働きに当たっているだろうか。ちゃんと理解しているだろうか。簡単に量の大小、人数の大小だけで見えてしまうような価値観にすり替えてはいないだろうか。そんな問いが、今朝の私に向けられたような気がしています。
 
私にとって大切なこととはなんだろうか。教会の営みに示された神の御業が、信頼に満ちあふれたものなのだという、深い理解と自覚なのだと。今日の新約聖書の言葉にある「確信」というのは、神の人間に対する深い信頼に対する、神への信頼をもってなされる応答であると受け止めました。この神と人間とのあいだに働く確信こそ、結果として豊かさを生み、祝福があふれることを、私は胸に刻んで今日という一日の小さいように見える出来事にも、誠実に歩みたいと願わされました。
 
たとえ小さくても、主の祝福は主の祝福なのだ。そこに大きな喜びを見出せるような一日でありますように。そのことを心から願いつつ、お祈りいたします。

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