08/10/2022

2022.10.8(土) #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
イザヤ書42章9節
見よ、先にあったことは実現した。
そこで、私は新しいことを告げよう。
それが起こる前に
私はあなたがたに聞かせよう。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
マタイによる福音書13章17節
多くの預言者や正しい人たちは、あなたがたが見ているものを見たかったのである。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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先人が見てこなかったものを、見たいと願っていたことを、あなたがたは今見ているのだ。
 
イエスは人々に伝えました。今日の新約聖書に込められたこの言葉は、イエス御自身のことを言っているのだと、私たちは教会で聴いてきたのではないでしょうか。
 
旧約の時代には、多くの預言者や神の正しさによって生きた数々の信仰者が、神が約束された未来の希望について語り続けてきました。しかし、それをこの目で見ることなく地上の生涯を終えた。だから見ることができなかったのだと。イエスという全世界の救い主の姿を。こういう感じで、この言葉を受け止めてきたのだと思うのです。
 
私がかつて住んでいたドイツのケルンには、ケルン大聖堂がそびえたっています。ゴシック様式の代表作とも言えるこの建造物。実は完成にいたるまでには600年もの年月を要しました。資金難や政治的な混乱のために、建築は何度も中断され、中途半端な姿をさらし続けました。13世紀に始まった教会建築が完了したのは、19世紀後半のことでした。
 
完成を見ることなく次世代に未来を託した人々がいました。ここに「律法の完成者」と自ら名乗ったイエスの姿にシンクロするような気がしてなりません。律法を神からのメッセージと受け止めて、それをただ守ることだけに人生を費やした旧約聖書の時代に生きた民がいました。しかし、律法がなぜ神の民に与えられたのかという本当の理由を知ることは、生涯ありませんでした。律法の完成者を見ることなく、次世代に未来を託しつつ。
 
イエスの時代に生きた人々は、今この目で、肌で、イエスを感じることができました。あなたがたがこの目で見ていると、イエスは人々に語られました。それ以来、神とともに生きる道が与えられた私たちは、救い主イエスとともに歩むという新たな理解が与えられて、今日にいたっているというのです。ここに「福音」のメッセージがあり、そのことを疑う理由はどこにもありません。
 
しかし、私はそれですべてが完成したとは思っていません。私たちは、やがて来る「神の国」を目指して歩んでいる、現在進行形の神の民であるということを、どのように私自身の生き方に影響していくのだろうか、ということに心を寄せたいのです。
 
先ほどのケルン大聖堂の話ですが、600年かけて完成した大聖堂も、建築当初に建てた部分は補修が必要となりました。こうして、大聖堂は補修し続け、今日にいたります。つまり、大聖堂の完成形を具体的にイメージできるのだけれど、何も手を加えなくてもよい完璧な姿というものを、私たちはまだだまこの目で見ることはないのだと。
 
ですから、私が今日生きるこの命も、イエス・キリストという救い主をイメージすることができたとしても、神の国という究極的な理想を見るにはまだ至らないなかで、与えられているものなのだと思えてならないのです。
 
イエスによって確実に私の命は支えられ、守られ、救いを得ている。しかし、現実の世界に生きるときに、決して避けることのできないさまざまなしょうがいや起伏に遭遇があります。そんなときに、私たちは旧約時代の民が、たとえこの目で見えなかったとしても、やがて来る究極の姿を思い描きつつ、その途上を希望をもって歩んでいた姿を、自分自身にシンクロさせることができるのかもしれません。未来を生きる一人ひとりの命のためにです。
 
私の目の黒いうちに、ではなく、すべてを善へと導かれる神がともにおられることへの信頼が、未来へとつなぐ今日の私たちの命を支えることができますように。今日一日の幸いを心からお祈りいたします。

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