27/10/2022

2022.10.27(木) #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
申命記7章9節
あなたは、あなたの神、主こそ神であり、真実の神であることを知らなければならない。この方は、ご自分を愛し、その戒めを守る者には、幾千代にわたって契約と慈しみを守る。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ヘブライ人への手紙10章23節
約束してくださったのは真実な方なのですから、告白した希望を揺るぎなくしっかり保ちましょう。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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告白した希望。本日の聖書の言葉に出会ったときに、真っ先に目に留まったのがこのひと言でした。私たちの抱く希望とは、いったいどのようなものなのかについて、あらためて思わされる機会となったような気がしています。
 
希望とは、私自身の力ではどうにもならないような出来事に遭遇したときにこそ、抱かされるものであると思っています。現実を見て、その壁の厚さと高さに圧倒され、打ちのめされそうになるのです。そして、こうつぶやきます。どうせ何をしたとて、変わることはないのだから。
 
そんなあきらめにも似た思いは、私自身の心にこう訴えるのです。波風立てず、現状維持のままでいれば、誰も傷つかないのだと。ただおだやかに過ごせば、それでいいじゃないか。見た目には平安な状態に見えるかもしれません。しかし、こういう生き方は希望に満ちあふれたものとは程遠いものなのだと思わされるのです。
 
神が与えてくださるものを見つめることで、私のうちに起きてくる希望とは、私の範囲内で何かが実現するような規模の小さいものではなく、私が想像だにしなかったことが、神の介入によって起きてくることを意味するのだと。それがどんなかたちで起きるかは、皆目見当もつかないでしょう。しかし、神の御心というものを知り、理解し、神がご自分の言葉と聖霊による助けを握りしめて生きるならば、神は必ずミラクルを起こしてくださるのだ。それに対する希望です。
 
私はその希望を告白します。しかし、その告白の脆弱さを痛感させられることも多々あるのです。ちょっとしたことでくじけ、つまづき、へこたれてしまう自分自身。希望のふた文字もどこかに消えてなくなってしまいそうな場面など、いくらでも存在するのです。告白した希望を携え、保ち続けていくことの難しさというものを感じさせられるのです。
 
しかし、そんな難しさのなかでも、今日という一日の時間軸のなかで希望のかけらを持ち続けていくことが、のちに必ず喜べる状態へと神が導いてくださるのだと。その神の導きを味わいたい。味わうために、今日一日もまた生きるのだと。
 
そのことを味わいたくて、今日も神が語ってくださる言葉に耳と心を傾けながら、立ち止まり、また進みつつ歩むことができますように。心よりお祈りいたします。

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