03/09/2022

2022.9.3 #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
申命記29章28節より
隠されたことは、私たちの神、主のものである。しかし、現されたことは、とこしえに私たちとその子孫のものである。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ヨハネによる福音書17章26節
イエスの祈り:
私は彼らに御名を知らせました。また、これからも知らせます。私を愛してくださったあなたの愛が彼らの内にあり、私も彼らの内にいるようになるためです。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
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神は私たちに何を現わされたのでしょうか。神の御心をこの世に示されたイエスは、その生涯を通して、私たちに何を知らせたのでしょうか。そして、今も知らせ続けているのでしょうか。
 
今日、私たちに与えられたふたつの聖書の言葉は、その問いの答えを与えるものです。しかし、具体的にそれが何を指すのか、これら言葉を通して、じっくりと黙想してみたいと思いました。
 
今日の旧約聖書である申命記の言葉は、神は私たちに対して明確に現わされることがある一方で、隠されるものもあることが書かれているのは、とても興味深いと思いました。私たちは神の持つご計画、その御心のすべてを知っているわけではありませんし、それを知ることもできません。それはイエスも同じことを言っておられます。
 
例えば、イエスが十字架につけられる前に、弟子たちは尋ねました。エルサレム神殿が崩壊させられるのはいつの話ですかと。つまり、これから未来のこと、いわゆる終末に対する弟子たちの不安は、イエスにぶつけられます。その時を知れば、弟子たちは自分たちの不安というものが、少しは解消されるかもしれない。そう思っての質問だったのでしょう。
 
それに対して、イエスはその明確な時というものを弟子たちには知らせることはありませんでした。それはただ父なる神だけがご存知なのだと。そのうえで、いくつかの前兆というものを語られました。そのなかに「愛が冷える」という兆しについて、イエスは弟子たちに語られたのです。
 
愛が冷える。ここにイエスが語りたかった本質があるような気がしてならないのです。人は不安になると、自分のことだけで精一杯、とても他人のことに関心など向けられなくなるのは、私たちが経験で十分に知っていることだと思います。時には自分本位な姿が、愛というものを薄れさせて、それを崩壊させる力すら持ってしまうのです。
 
私たちが自分のことに、周囲のことゆえに悩み苦しむとき、神がこの苦悩にどのように応えてくださるのだろうか。神のなさることが隠され、見えないなかでなおのこと苦しむことがあるでしょう。愛がますます冷えてしまう状況のなかで、神は私たちに何を示し、知らせてくださるのだろうかと。
 
そこで、今日の聖書の言葉が伝えるメッセージこそ、私たち一人ひとりの心に響かせるものがあるのだ。そう思えるのです。愛が冷えるときにこそ、イエスが父なる神への祈りのなかで、神が余すところ注いでくださる愛が、私たちの冷え切った心を温め、熱くし、神が私たちとともにいてくださるという神の名に示された真実が、私たちの生きる希望となりますようにと、私たちのために祈ってくださっているイエスがいるというのです。
 
私たちは、たとえ先行き見えない不安の中にあったとしても、イエスが、またイエスを救い主として与えてくださった神が、必ずやご自分の愛だけは隠すことなく私たちに現わし、示し、それによって生きる幸いを知らせてくださる。これこそ、私たちの生きる希望としてしっかりと握りしめることができるのだと、今日の聖書の言葉は私たちに伝えてくださっているのだと受け止めたいのです。
 
一週間も最終日を迎えた今日の一日が、そのような希望に裏打ちされたものでありますように。お祈りいたします。

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