04/09/2022

2022.9.4 #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編22編20節
主よ、あなただけは遠く離れないでください。
私の力の源よ、急いで助けに来てください。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ヨハネの手紙一5章15節
私たちは、願い事を何でも聞いてくださると知れば、神に願ったことは、すでにかなえられたと知るのです。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
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神は私たちの願いを聞いてくださる方である。
 
今日の新約聖書の言葉は、私たちの願いというものを神がどのように聴かれるかについて、考えさせられるものであるに違いありません。なぜならば、神がそう簡単に私たちの願いを聴いてくださるとは限らないことをも知っているからです。
 
では、今日の新約聖書の言葉は、私たちにどのようなメッセージを与えるものなのだろうか。そのことに心を寄せつつ、黙想を深めてみたいと思います。
 
まず、神は私たちの願いというものをすべてご存知である、ということです。私たちが祈ろうが祈るまいが、神は私たちのすべてをご存知です。神は私たちのことを、髪の毛一本までもご存知であるとイエスが言った通りです。それは、私たち一人ひとりにとって何が生きるために必要であるかということも、すべてご存知であるということでもあります。
 
しかし、私たちは究極的にそのことを知らないのだと私は思います。神が私たちにとって何が幸福であるかということをです。私たちは神の思いというものを、神の言葉である聖書と、聖書の言葉を神の言葉と理解するための助けとなる聖霊の導きによって知ることができますが、結局のところ、聖書の言葉を自分の思いたいように引き寄せ、聖霊の導きという言葉を用いて、自分の感覚と同一化してしまうことで、究極的に神の御心というものを誤解することは、いくらでもあると私は自戒を込めて思わされます。
 
ですから、私たちは私たちの願いというものを神の御心と信じつつも、それがもしかしたら神の御心と思い込んでいるだけなのかもしれない、間違っているかもしれないという思いも、持ち合わせる必要は十分にあるのだと私は思います。
 
そんなことを踏まえて、今日の聖書の言葉を味わうならば、私たちの願いというものがどこから起因し、動機とし、それを願いとしているだろうかということを、じっくりと黙想して、識別をしながら、少しでも神の御心を理解したうえでの自分自身の願いであるかどうかを吟味するならば、神は必ずご自分の御心というものを明らかにしてくださり、その御心人沿った私たちの願いというものを、必ずかなえてくださることを信じたいのです。
 
もし選択が誤っているのであれば、軌道修正すればいいだけの話です。軌道修正とは向きなおすことであり、それは私たちが「悔い改め」という言葉をもって表現していることでもあります。悔い改めというのは一見重苦しく暗いような作業に見えて、実は希望のあふれた私たちの行為であると言えるでしょう。
 
今日は主の日。世界中でおこなわれる礼拝や集会のすべてでなされる祈りが、願いが、主の御心を理解するための素敵な機会となりますように。お祈りいたします。

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