23/09/2022

2022.9.23 #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
サムエル記上12章22節より
主はあなたがたをご自分の民と固く決めておられる。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
エフェソの信徒への手紙2章8節
あなたがたは恵みにより、信仰を通して救われたのです。それは、あなたがたの力によるのではなく、神の賜物です。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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主はあなたがたをご自分の民と「固く決めておられる」。
 
今日与えられた聖書の言葉は、神の私たちに対する揺るぎない決意を知ることのできるものであると、私は改めて受け止めることができました。
 
聖書には、その最初から神の私たちに対する思いをうかがい知ることができるわけですが、それは「人間に『生きる道』を与え続ける」という一点において、決してブレることのない神の姿であると言えます。ご自分の似姿として人間を最高の愛情をもって創造され、どんなに人間が神の愛を踏みにじり、背を向け、裏切り続けたとしても、あくまで神は創造に込められた思いを撤回することなく、今日まで人間と歩み続けることに徹し続けられた神がおられるということです。
 
私たちは神を簡単に忘れます。すぐに疑います。神を無意識のうちにないがしろにした方が、豊かな人生を送ることができるのではないかと考えてしまいます。神を信じるということが非科学的であり、おとぎ話の世界であり、現実を直視していないあらわれだという波に吞まれてしまいます。神の権威を利用して、あたかも自分自身の努力がすべての成功につながっているのだと豪語し、それを生きる柱にしようとします。程度の差こそあれ、神を信じていると言っている私が、容易に振り返ることのできる数々です。
 
しかし、そんな私をご自分の民と固く決めておられる神がいるのだ。この世の中の論理だったら簡単に見捨てられても言い訳の出来ない私をです。そして、神はそんな私にイエスを与えてくださった。イエスの生き方に示された神とともに歩む幸いというものを教え、伝えてくださった。そして、そのことに命をささげ、その命こそ神の決意を確かなものとする永遠の喜びへとつなげてくださっているのだと。
 
そのような幸いこそ、今日の新約聖書の言葉で綴られている「恵み」であり、神が私たちに示してくださる信頼にすべてを応答された、信仰の実体としてのイエス・キリストがおられるから、私たちは今日の命を歩むことができるのだと。それは、決して自分自身の能力や努力の賜物ではない。神がくださった賜物なのだと。今日の聖書の言葉を通して、そのように改めて感じさせられました。
 
私自身、ここのところ自分のからだに走った痛みのことや、なおも続くカルト宗教被害の実体に向き合うこと、自分自身を取り囲むさまざまな問題課題。それらのことで押しつぶされそうな自分自身がありました。しかし、神はそんな私を決して見捨てることなく、ひとつずつ解決への道を与えてくださる。そのことと向き合いながら前を進む道を、神がしっかりと手をつかんでともなってくださる。今日も生きようという気持ちがあふれてきます。
 
今日は早朝の黙想はせず、午前中ゆっくりと休みつつ黙想しながら、この文章をしたためました。少々遅くなりましたが、心から神に感謝しつつ、皆さんと共に聖書の言葉をいただけたことを感謝いたします。今週2回目の連休初日の今日からの数日間、皆さんの命をしっかりとつかんでくださる神の守りと平安がともにありますように。お祈りいたします。

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