22/09/2022

2022.9.22 #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編89編9節より
主よ
誰があなたに並びえましょうか。
力強い方、主よ
あなたのまことがあなたを囲みます。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
エフェソの信徒への手紙1章17節より
私たちの主イエス・キリストの神、栄光の父が、あなたがたに知恵と啓示の霊を与えてくださいますように。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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神が与えてくださる「知恵と啓示の霊」とはいったいなんだろうか。そんなことを、今日の聖書の言葉を通して黙想してみたいと思いました。
 
さまざまな「知恵」があふれるこの世界で、神が与えてくださる知恵とは、今日の旧約聖書の言葉によれば、神のまこと、つまり神御自身の誠実さをもって、うそやまやかしのない姿を私たち一人ひとりに示してくださることによって、明らかにされる知恵のことであると私は受け止めました。この知恵を私たちは、聖書の言葉と聖霊による神の助けによって受け取り、それを自分自身の生き方とすることができるというのです。
 
知恵は何のためにあるのか。そんなことを考えるときに、知恵は自分自身を守る盾のような役割を果たすことを、私たちはよく知っています。ただ、自分自身を守ろうとするときに使う知恵によって、他者の尊厳までも汚し、犠牲を与えてしまうような知恵は、今日の聖書の言葉で示されているような、神が与えようとしている知恵とは程遠いものであると感じます。神が与えてくださる知恵とは、あくまで私たちの生活に平安を呼び起こすようなものである。つらく、苦しいことがあったとしても、その場面を神とともに歩むことで共存し、乗り越えることができるような知恵なのだと思うのです。
 
また、知恵とともに与えられるのは「啓示の霊」であると、今日の新約聖書の言葉は語ります。啓示とは先を見通すために与えられる言葉や示しのことですが、それは、未来を予想するといったいわゆる予言のようなものというよりは、物事の判断をし、神の御心によって今ある状況や今後の身の振りというものを識別するために与えられる聖書の言葉、つまり神から預かった言葉としての「預言」を理解するために与えらえる聖霊のことを指しているのだと、私は受け止めました。
 
知恵は、私たちのうちから起こるものではなく、神が私たちに与えられるものであるという意識と自覚が養われていくならば、神とともに歩む幸いを味わうことができるのだと。そのために、神が与えてくださった聖書の言葉と聖霊の導きの両輪によって、今日の一日を進み行く者でありたいと願わされました。この両輪の助けをいただきながら、決して気負うことなく、平安のうちに、今日という一日を歩むことができますように。お祈りいたします。

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