20/09/2022

2022.9.21 #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
イザヤ12章5節
主をほめ歌え、主は大いなることをされた。
これを全地に知らせよ。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
使徒言行録14章27節
(パウロとバルナバがアンティオキアへ)到着すると教会の人々を集めて、神が彼らと共にいて行われたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったことを報告した。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用

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私はあることを思い出していました。
 
ずっと憎しみを抱き続けていた人がいました。この人のおかげで人生がめちゃくちゃにされたと思い続けていました。だから本当に嫌いでした。できるだけ顔を合わせたくない。そう思って生きてきたのです。うらみの感情というものは、そう簡単に消えることはない。それは事実でした。
 
牧師になって数年が経った頃、その人が亡くなったという話を聞きました。うらみ憎しみの思いなど忘却のかなたにありましたが、引き金を引いたように、またあの嫌な思い出がよみがえってきました。しかし、その後のひと言で、その思いが一変します。
 
最後は、今までの自分自身が散々人に迷惑をかけてきたことを懺悔して、神様がすべてを許してくれることを信じて、洗礼を受けたという話でした。洗礼を受けた数日後に、その方は息を引き取ったというのです。
 
私は、金づちで頭が殴られるような思いがしました。神による人への救いを宣べ伝える仕事をしていながら、自分自身のなかに凝り固まるうらみつらみのために、伝えることのできたかもしれない相手に伝えることすらしていなかったということにです。
 
私の心では、どうすることもできなかった。限界があり、無理があり、なにしろそれを拒んでいた自分自身がいた。しかし、絶対不可能を可能とする神の御業は確かに存在していた。そして、かくして門は開かれたのだと。
 
私は、今日与えられたふたつの聖書の言葉を通して、神の御業が救いの門を異邦人へ、そして全世界へ広げてくださったという言葉に触れて、そのことを思い出さずにはいられませんでした。私が決して解決しない、これは無理だと思うのは当然のことです。それは、私がなんとかしようと思っているのですから。
 
しかし、神は門を開けてくださる。門戸を広げてくださる。このことを私の希望としたい!そう思ったのです。そう思ったら、今感じているつらいことも、乗り越えられそうだ。そう思ったのです。
 
そのように感じておられる方が他にもおられましたら、このことのために一緒に希望を抱くことができますように。それをなしてくださる神に御顔を向けて、今日も歩むことができますように。お祈りいたします。

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