06/08/2022

2022.8.6 #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
申命記4章9節より
あなた自身くれぐれも気をつけ、注意を払い、目で見たことを忘れないようにしなさい。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ヨハネの黙示録3章3節
どのように教えを受け、また聞いたかを思い起こして、それを守り通し、かつ悔い改めよ。

『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
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自分の眼で確かめたことを忘れず、教えられたこと、聴いたことを常に思い起こしながら、自分に与えられた日々を歩む者となりなさい。今日の旧約・新約聖書から聴くことのできるメッセージであると私は受け止めました。
 
自分自身の「今」を生き、「明日」に向かって歩むためには、過去をどのようにとらえ、また自分自身のうちに位置づけることができるだろうか。そんなことを考えました。私たちにとって過去を振り返る作業というのは、時には心を喜ばせ、また逆に悲しみや怒りを呼び起こすことだってあるわけです。
 
私自身、思い出したくない過去があります。それを思い出すことによって、辛い思いに引き戻されるような気持ちになるからです。だからと言って、それに蓋をし続けていても自分の将来のためにはならない。そんな風にも思うのです。だからこそ、その辛かった過去に、神がどのように関わり、私自身を明日へと向かわせたのかということを、じっくりと思い起こす作業というものが、本当に大切なんだと思わされます。
 
私自身思うことは、神は私が想像にもしなかった実に絶妙なかたちで、私の当時の出来事に介入してくださったということです。たとえ、その当時は神の介入に気づかなかったとしても、後になって「ああ、あれはそういうことだったのだ」と気づかされることが数多くあります。そういうときは大概、当時の出来事が自分の思うように進んでいかなかった場合に、しかし、それが自分自身にとって、自分自身を取り巻く環境にとって本当に良かったのだと。確かに神の介入があったのだと、振り返させられることが多くあることに気づかされます。
 
今日の新約聖書の言葉に「悔い改めよ」という言葉が登場します。悔い改めるという言葉には「方向転換」という意味があります。自分自身が進もうとしていた道ゆきを変更しなければならないと自覚した時に、いわゆる方向転換・悔い改めということが起きるのですが、私が思わされるのは、そのような悔い改め・方向転換というものを、当時いやいやながらおこなっていたとしても、後になって、神がそのように自分自身の進むべき道を整え、転換へと向かわせてくださったのだということです。
 
たとえ、自分自身にとって思い出したくもない過去の出来事も、いつか神がそのことすら生きるために必要なこととしてくださる。今はそのように思えなくてもいい。神が私にとってベストなその時をすべてご存知なうえで、私自身を明日への道に向かわせてくださる。そのことを心の希望として、今日の一日を歩んでいきたいと願わされました。
 
一週間も最終日を迎えました。私たちとともに歩んでくださる神が、この時をも私たちのために良いものを与えてくださるべく、生きて働いておられるということが、私たちにとっての希望となることができますように。お祈りいたします。

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