ホセア書14章6節より
神の言葉:
私はイスラエルにとって露のようになる。
彼は百合のように花を咲かせる。
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ヨハネによる福音書15章5節
私はぶどうの木、あなたがたはその枝である。人が私につながっており、私もその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。私を離れては、あなたがたは何もできないからである。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
******
昨日、仙台は雨ひとつない快晴の一日でした。雨の多い今年の夏ですので、こんなことはとてもめずらしく、中途半端で終わっていた梅の土用干しを仕上げようと思い、冷蔵庫のなかにしまっていた梅漬けを取り出して、ざるの上に並べて天日にしっかりと干すことができました。
しかし、天日に梅をしっかりと干すと、かごに梅の皮がくっついてしまい、無理やりはがすと皮が破れてしまいます。そういう時は無理しないで、夜風に少しでもさらすとかごと皮のあいだに湿気ができて、問題なく皮をはがすことができます。湿気の力というものを改めて感じさせられました。これで土用干しは終わり。しばらく梅のなかの塩分を馴染ませて、おいしい梅干しを楽しみたいと思います。
さて、今日の旧約聖書の言葉・ホセア書にある言葉のなかに「朝露」という言葉が出てきました。イスラエルでは、春分から秋分くらいまでの半年間、雨が全く降らない季節を迎えます。草花が枯れてしまうくらいの乾きと吹き付ける熱風は、一気に潤いを失わせます。
しかし、そんなイスラエルの乾いた土地にも、朝になると露が土地や草花を濡らすことがあるのだそうです。それは湿気のなせる業であると言えるでしょう。太陽が沈むことによって急激に温度が落ちれば、空気が冷やされて水蒸気が水滴となる。それが露となってほんの少しでも潤いを与えるというのです。
今日の聖書の言葉では、神が人々にとっての露のようになるとつづられています。露で私たちの喉の渇きというものを根本的には癒すことはできない。しかし、少なくとも潤いを私たちは感じることができる。神は、その潤いをなすための露となってくださるというのです。見た目にはほんのちっぽけかもしれないけれど、確実着実に私たちにとって必要なものを与えてくださるという、神の親心を感じることができる言葉であると私は受け止めました。
それと同じことが、今日の新約聖書であるヨハネ福音書の言葉にも記されています。私はぶどうの木、あなたがたはその枝という、イエスによって弟子たちに語られたあまりにも有名な言葉です。長いつる枝をつたって、水分は確かに供給されます。そして甘い実をしっかりとつけるために、幹となる木の役割は水分や養分を吸い取ってそれを行きわたらせる。実に水分を潤わせるために、イエスご自身が私たちのために働いてくださるということを示した聖書の言葉です。
暑い夏の日々が、私たちの心身から水分を奪い取るがゆえに、私たちは乾きます。渇きます。しかし、ほんの少しの露だったとしても、梅干しのように無理やりはがされることによって傷つくことを防ぐ大きな働きがある。そのような働きを神がなしてくださるのだと、今日の聖書の言葉から励みを得た思いがいたしました。
一週間も最終日を迎えました。この7日間を振り返るとともに、週の夜明けである明日への備えであるこの一日が、私たちすべてにとって豊かなときでありますように。お祈りいたします。
0 件のコメント:
コメントを投稿