18/08/2022

2022.8.18 #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編37編28節より
主は公正を愛する方。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ルカによる福音書20章25節
それならば、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
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皇帝のものは皇帝に
神のものは神に。
 
これはイエスによって語られた、よく知られた言葉であることは、聖書をお読みになられている方ならば、どなたでもご存知であるかもしれません。それくらい有名な聖書の言葉なわけですが、私は今日この御言葉をいただいたときに、まさに「イエスの政治観」というものはどこにあったのかということにつくづく気づかされる、そのような思いがいたしました。今とても必要な言葉であると私は感じたのです。
 
まず、イエスご自身はこの世界の政治に大きな関心を抱いていたということを、私たちは決して忘れてはならないのだと思います。教会という場は「中立性」という立場から、特定の政治思想を支持したり、それに組してはならないという考えが、不文律のように存在しているのはよく聞く話です。それも一理あると私は思います。
 
しかし、どうなのでしょうか。だからといって、私たちは「政治に無関心であればよい」理由などは、どこにもありません。イエスご自身が社会の現実に向き合って、神の御心をすべて受け取った者として大胆な発言を繰り返したことは、今日の聖書の言葉からも明らかです。
 
私たちは、神の御心が政治に働くように祈りをつむぐことは本当に大切です。政治のことはイエス様にお委ねして祈ろう。よく聞く話です。しかし、私たちがイエスにすべて委ねたのだから、政治的な「中立」を保とうと何もしないのであれば、それは、神から命をいただき、この世界で生きる者としての責任というものを放棄しているのではないか。安易に「委ねた」という言葉に片づけてしまうのであれば、それは非常に無関心な態度であると私は思わずにはいられません。イエスの弟子として生きるのであれば、イエスが政治に関心を抱き、そこに立ち向かって私たちの生きるモデルになられたことを、私自身真摯に向き合うことの大切さを思わされるのです。
 
イエスは、もし皇帝、すなわちこの世界の政治が行う政策というものが、本来神にお返しすべきものに勝ってしまうのであれば、何を優先すべきかを明らかにしています。神にお返しするものを第一にするときに、この世界の政治に反抗の意を示さなければならないことだってあるのだというのが、私が改めて受け取った今日の御言葉が語るエッセンスであると、強く感じさせられるのです。
 
ただ、そのときに反抗の根拠がなんであるかは、やはり明確にしておかなければならないのだと。それが、今日の旧約聖書で語られる「公正」であると、私は受け止めました。公正。それは、神が示される正義というものが、あまねく私たちの一人ひとりに余すところなく広がりゆくさまを表すものであって、私たち人間の正義というものが、神の正義を勝ってしまうことがあってはならないという自戒を促すものなのだと。
 
ですから、私たちがどのような政治思想を抱き、関心を抱き、そこに向かっていくかの自由が与えられているなかにあって、私たちが本当に大切にし、愛するべきなのは、神が示された公正が、私たちを用いて世界中に分かち合われることなのだと。このことが基盤となって、宣教という営みが初めて成立するのだと感じさせられます。私たちに委ねられた宣教のつとめというものが何であるか。今日の聖書の言葉を通して、襟をただされる思いがいたしました。そのことを今日一日の黙想として歩んでまいりたいと思います。
 
神の公正がこの世界に広がりゆくときに、必ず平和が訪れることを信じつつ。アーメン。

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