17/08/2022

2022.8.17 #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
サムエル記上12章24節
ひたすら主を畏れ、誠実に心を尽くして主に仕えなさい。主があなたがたになさった偉大な御業をよく考えなさい。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ローマの信徒への手紙12書11節
怠らず励み、霊に燃えて、主に仕えなさい。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
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今日の旧約・新約聖書に共通するのは「主に仕えなさい」という言葉ですが、それよりも大切なのは「どのように」神である主に仕えることができるのか、というだと受け止めました。そのあたりのことを黙想してみたいと思います。
 
まず、旧約聖書に記されているのは「ひたすら主を畏れ、誠実に心を尽くして」という言葉です。ここで言われている「畏れ」は、深い尊敬の念が込められたおそれであり、決して恐怖心から来るそれではないということです。神に仕えるのに、恐怖心というものは無用であると、誤解を恐れずに断言することができると私は思います。
 
地獄に落ちたくなかったら神を信じなさいというアプロ―チは、古今東西宗教の別を問わず存在していると思います。閻魔(えんま)さまに舌を抜かれたくなければ、良い生活に心がけなさいとか、私がかつて信者生活を送っていたあるカルト宗教のように、世界の終末、ハルマゲドンで滅ぼされたくなかったら、神(結局のところ宗教組織)の指示に従順でありなさいとか、宗教的に忠実な人間をつくり上げるための「おどし文句」として、恐怖心を巧みに利用するということが行われるのです。
 
しかし、それは神が望まれていることなのでしょうか。旧約の預言者たちが、民の態度を改めるよう警告を与えることがあったのも事実です。しかし、それは先にありきの話ではありません。今日のサムエル記上12章24節の後半部分では、「主があなたがたになさった偉大な御業をよく考えなさい」とあります。私たちのためになされた神の御業とは、神の人間に対する深い慈愛が土台となっていることを、私たちは聖書の物語から知ることができるのではないだろうか。そう思えてならないのです。
 
真実の愛は深い尊敬の念を生み、互いに敬い合う関係性を築く。これこそ神と人間のあいだに築かれる関係性であり、神はその関係性が築かれるために、私たちひとりひとりに対して働いておられるということを、ことあるごとに思い起こし、黙想し続けられるような私たちの態度というものが求められているのだと、私は受け止めたいのです。
 
今日の新約聖書にある「怠らず励み」という言葉も、同様に考えることができます。信仰生活を営む際に、がむしゃらに信仰生活を営まなければ神を悲しませるとか、神から何らかの罰が下るとかということへの恐怖心ゆえにそうしているのであれば、それは実に本末転倒なのことなのだと。そのように思わされます。
 
「霊に燃える」という言葉は、聖霊なる神が父なる神と子なるキリストが私たちに示されたアガペーの愛、つまり無私の愛の結晶であると言い換えるならば、聖霊の力によって燃えることは、それすなわち神が私たちに示された愛が基盤にあってこその、互いに敬い合う態度からくる誠実さであり、ひたむきさであると言えるのだと。
 
今、私たちは神の愛というものが、いったいどのようなものなのかを、立ち止まってじっくりと思い巡らせながら、今日という一日を歩んでいきたい。私のなかにある「神の愛」に対する認識と理解が、決して自己愛や恐怖をともなった愛のように見えるだけのものにならないように、神の愛に心ほぐされながら今日という一日を歩みたい。そんな風に思わされた次第です。
 
このような尊敬にもとづいた神との関係性、そして人との連鎖が、私たちを神の愛によってまことに活かす基盤になりますように。お祈りいたします。

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