16/08/2022

2022.8.16 #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編78編4節より
主の誉れと力を
主がなされた奇しき業を
後の世代に語り伝えよう。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
マタイによる福音書5章15節
また、灯をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家にあるすべてのものを照らすのである。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
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未来志向。
 
今日のふたつの聖書の言葉を通して、こんな言葉が脳裏をめぐりました。神が私たちに伝えているのは、歴史に振り返ることの大切さとともに、その振り返りの作業は未来を生きる人たちのためにあるということをです。
 
未来へバトンを渡すために、今私ができること。それは、たとえ私自身の業績がこの場で評価され、感謝され、名声が鳴り響くことなどでは決してない。たとえ今、そのことが理解されなくても、そのことで冷たい態度を浴びせられることがあっても、未来を生きる人たちがそのことで幸福を感じることができるように、自分自身を犠牲にしてもいいという覚悟と自分自身に見返りを求めない生き方。そんな生活にあこがれたいという切なる願いがあります。
 
しかし、そんな願いとは裏腹に、自分自身の心をめぐるのは、注目されたい、人々から報われたい、感謝されたい、私の業績として見て欲しいなどという思いがうごめくのです。もちろん、感謝されることは本当に嬉しいことです。しかし、そのことを主な目的にして生き、何かの目標に向かって行動することは、本末転倒だと思わされるからこそ、自分自身の醜さというものがあることに嫌気がさしてくることが多々あります。
 
私が伝えるべきことは、今日の聖書の言葉にもあるように、私自身ではない。神がこの世界に向かって何を願われ、望まれ、そのためにご自分の御心を明らかにされ、神御自身の言葉を与え、救い主イエスを与えてくださり、そのイエスを「光」として私たちの行く道を照らしてくださったかということなのだと。この光を灯して燭台のうえに掲げつつ、未来に向かってトーチを掲げることのできる者として、主の放たれる光に仕えたい。そんな思いが心を巡りました。
 
未来を想像しては暗澹(あんたん)たる気持ちにさせられることを容易に提供しているこの世界で、この光によって希望を抱き続ける一日のつとめを、今日のひと日も大切にしつつ、神の助けによって歩んでまいりたいと思います。それこそ、私利私欲なく、私たち人間のあいだに起こる犠牲をともなわない平和が来ることを心から信じつつ。
 
皆さんの一日に、神が未来に向かって放たれる光の幸いと喜びがともにあり、未来志向の思いが希望となりますように。お祈りいたします。

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