15/08/2022

2022.8.15 #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編118編15~16節より
歓喜と勝利の声が正しき人の天幕に響く。
主の右の手は高く上がる。」
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ルカによる福音書1章46~47節
私の魂は主を崇め
私の霊は救い主である神を喜びたたえます。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
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今日の旧約聖書の言葉に「主の右の手は高く上がる」というものがあります。原文のドイツ語聖書では「主の右の手は勝利を保つ」と訳することができるのですが、この勝利という言葉は、ドイツ語のSieg(ジーク)という単語です。
 
ジーク。私はこの言葉を聞くと、かつてのドイツ国民が右手を高く挙げて「ジークハイル!(勝利万歳!)」と、時の政権であったナチス党をほめたたえ、指導者ヒトラーに対する忠誠を誓いました。
 
私がドイツで牧師をしていた頃、教会のかたから「礼拝の祝福(祝祷)は、両手を使ってしてください。片手だけの祝福は絶対にだめです」と言われたことがあります。ドイツの法律では、公の場で右手を高く掲げる行為は犯罪とみなされます。祝福の行為はそれにみなされるというわけです。ドイツという国がいかにナチスの残した負の遺産というものに、敏感に反応しているかを示す、ひとつの例であると言えるでしょう。
 
ドイツという国が、第一次世界大戦の敗戦によって国全体が沈み、経済力が低迷するなかで、強力な指導者がドイツ国民の平和を訴え、それを約束しました。その結果、ナチス党政権による「強いドイツ」が誕生し、それが実現しているように見えました。しかし、結果として、第二次世界大戦のきっかけをつくり、ユダヤ人大虐殺をはじめとする、平和とは到底言い難い行動を、時のドイツは率先して行ってしまったのでした。
 
その象徴が「右の手を高く上げる」というシンボル的な行為だったのです。ですから、私は今日この行為が描かれている聖書の言葉を目にしたとき、いみじくも今日8月15日は終戦記念日であることを心に留めたときに、「右の手を上げるのは誰か?」というところに、心を寄せたいと思いました。
 
そうです!聖書において右の手を高く上げるのは、私たちの神である主御自身であると描かれています。そこで人々のあいだには、歓喜と勝利があると言うのです。主なる神のもたらす平和というものが、人を犠牲に招かず、犠牲に導こうとする人間の知恵や力というものを打ち砕く。その神のなさることを、私たちは与えられた命をもって、自分の生き方とするところにこそ、真の平和が私たちのあいだに芽生えるのだと。
 
今から2000年前、社会の隅っこに追いやられ、ややもすると社会の強い力によって尊厳が握りつぶされようとしていたのは、不思議な仕方で妊娠をした未婚の女性であったマリアでした。未婚の女性が妊娠をするということは、当時の社会では「死」を意味することでした。それゆえに死刑を宣告され、処刑されることとなったからです。
 
しかし、マリアの命は神の力強い右の手が高く上げられることによって守られました。守られるどころか、救い主となるイエスの母として、辱めを受けることは決してありませんでした。まさにマリアは両手を挙げて神をたたえることができました。確固たる平和への約束が、マリアの両手をためらいなく挙げる十分な根拠となったのでした。
 
右の手を高く掲げ、私たちに真の平和を約束してくださっている神のなさることに、心からの信頼をもって、自分の生き方としたい。それが平和を愛し、神の平和がこの世でつくり出されることを願う者としての、最低限のつとめであると受け止めて、今日という一日を生きてまいりたいと思います。
 
どうぞ、皆さんにとっての一日もまた、神の平和に満たされた時でありますように。お祈りいたします。

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