04/07/2022

2022.7.4 #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
イザヤ書66章2節
これらはすべて私の手が造ったもの
これらはすべて私のものである――主の仰せ。
私が目を注ぐのは
苦しむ人、霊の打ち砕かれた人
私の言葉におののく人。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ヨハネによる福音書17章17節
イエスの祈り:
真理によって、彼らを聖なる者としてください。あなたの言葉は真理です。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
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おはようございます。この『日々の聖句 ローズンゲン』の黙想は、いつもなるべく朝7時にはブログに掲載して、読んでくださる方々へはSNSを通して配信するようにしているのですが、今日は寝坊して8時に目覚めてしまいましたので、それからゴミを出したり、今日から行われる玄関通路の工事をしてくださる業者さんを案内したりしているうちに、9時をまわってしまいました。遅い朝のスタートですが、今日も一日を始めることができました。今日がどんな一日になるのか。猛暑のなかではありますが、神の言葉を生きるための「合言葉(ローズンゲンの意味)」として、過ごしてまいりたいと思います。
 
さて、今日の聖書の言葉でとても印象深かったのは、旧約聖書・イザヤ書66編2節にある「私の言葉におののく人」という表現です。そのような人に、神はご自分の視線を注ぎ、守り、祝福してくださると聖書の言葉は物語ります。
 
ここで言う「おののく」とは、一体どういう意味なのでしょうか。一般的におののくとは、恐怖のあまり体が震えあがることを指す言葉です。では、神の言葉に対する恐怖心を抱いているさまを言っているのでしょうか。ここで言うおののくとは、恐怖というよりはむしろ「畏れる(おそれる)」という言葉からくる「畏敬(いけい)」ゆえに震え上がるさまを指していると言えるでしょう。畏れるとは、自分よりはるかに力ある者に対して起こる尊敬の思いを意味しています。実際に、おののくという言葉には、興奮ゆえに震え上がるさまをも意味しているようです。
 
神の力と知恵は私たち一人ひとりを守り、祝福してくださる源であることは、聖書が一貫して私たちに語るメッセージです。その言葉に示された神が、和たちの生活のただなかで起こる苦しみ、心が打ち砕かれるような経験に目を注がれ、ご自分の言葉で私たちを癒してくださる。その言葉に対する私たちの畏敬がこもった信頼こそ、神との深い交わりを生むというのです。
 
神の言葉は、私たちを良い意味でおののかせ、神とともに歩むことの幸いに導いてくださる。そのことを今日を生きるための合言葉として、大切に握りしめてまいりたいと思います。どうぞ皆さんの一日もまた、そのような合言葉によって、神の祝福と守りに満たされたときとなりますように。お祈りいたします。

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