20/07/2022

2022.7.20 #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編119編114節
あなたは私の隠れ場、私の盾。
あなたの言葉を待ち望みます。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
マタイによる福音書8章8節
すると、百人隊長は答えた。「主よ、私はあなたをわが家にお迎えできるような者ではありません。ただ、お言葉をください。そうすれば、私の子は癒やされます。

『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
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あなたの言葉を待ち望みます。
ただ、お言葉をください。

イスラエルの王ダビデにしても、ローマの小部隊長である百人隊長にしても、自分の言葉をもって国を治め、自分の言葉をもって部下に命令をくだすことができる立場です。そのような立場にある人たちが、自分の生き方を定めるために言葉を求める。その言葉とは、まさに神の言葉であり、救い主イエスの言葉でした。
 
つい最近、とても考えさせられる言葉に出会いました。
 
神の言葉、神の言葉というけれど、
本当に神の言葉を求めているのでしょうか?
神の言葉と言いながら、神にその思いを求めるのではなく、
神の言葉を利用して、自分の言いたいことを言っているだけなのではないしょうか?
神の御心にまったく沿うことのない、自分の願望を・・・。
 
あらゆる場で聖書の言葉を取り次ぐ職にある私にとって、この言葉はズシリとくるものでした。このローズンゲン黙想だってそうです。もちろん何を黙想するのも自由です。私が導かれた黙想を皆さんと分かち合うのも、何ら制限が課されているわけでもありません。しかし、その自由が与えられているなかで、私は本当に神の言わんとされていることに、その本質に自分自身の軸足を置いているだろうかという自己省察が、まことに大切なのだとあらためて思わされるのです。
 
たとえ神の言葉を文字通りにとらえることが忠実な行為であると信じたとしても、そこには何らかの自己解釈が入るということを、私たちは自覚する必要があると私は考えています。でなければ、私たちははるか昔の生活様式まで、今日生きる現実の世界に合致させなければならないことなど、いくらでもあると思うのです。ですから、文字通りにという言葉を大切にしたいと願いつつも、しかし、それを伝家の宝刀のように振りかざすことの危険をも感じるのです。諸刃の剣なのだと。
 
だからこそ、本質を求めたい。聖書の全体を通して、神は私たちをどのように扱おうとされておられるのか。イエスの言葉はどのような一貫性をもって私たちに迫ろうとしているのだろうか。そのコアの部分に心を、そして視線を注いでいきたい。そんなことを黙想させられました。神の言葉を自分の願望でミスリードしてしまうことのないように心がけるところにこそ、神が与えてくださる御言葉の恵みというものを、今日も味わうことができるのだということを心から期待しつつ。。。
 
ただあなたの言葉をください。そのひと言で百人隊長の部下が癒されたように、私たち一人ひとりもその癒しによって守られ、強力な盾である神がすべてを守り祝福してくださいますように。お祈りいたします。

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