16/07/2022

2022.7.16 #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編138編7節より
たとえ私が苦難の中を歩んでいても
あなたは私を生かす。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
コリントの信徒への手紙二6章4節
あらゆる場合に自分を神に仕える者として推薦しているのです。大いなる忍耐をもって、苦難、困窮、行き詰まりにあっても。

『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
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こんなに苦しむくらいだったら、いっそ死んでしまったほうが楽なのに。もう死んでしまいたいという声を、私は牧師という職に就いて何度耳にしただろうか。今日の聖書の言葉を通して、そんなことを思い起こしました。
 
私は「この場から逃げてしまいたい」と思ったことは何度もありますが、死んでしまいたいと思うこと、つまり希死念慮というものをいまだ抱いたことがありません。ですから、究極的に「死にたい」と思う方々の気持ちを自分の経験と重ね合わせて理解することは、多くの洞察を必要とします。ただ、この世から逃げてしまいたいという気持ちが死をこいねがう方向に向くのであれば、それは私の逃げてしまいたいという感情というものに相通じるのかもと思い、そのお気持ちを共感し、同じ苦しみを少しでも共有したいと願わされます。
 
どうしても、日々の黙想でも避けられない毎日の出来事として、安倍元首相を銃撃し殺害した山上徹也さんのことがあります。統一協会というカルト宗教がもたらす様々な弊害ゆえに、彼の人生に「死」というものがつきまとった結果、今回の事件に発展したのだと。親戚の証言によれば、山上さん自身も人を殺める前に、自分自身を殺めようとしていたとのこと。苦しみ自体が人間に多くの死のかたちをもたらしている。そこに共感の眼を向け、自分自身の大きな関心としたいと思わされます。
 
さて、今日の聖書の言葉ですが、苦しみの渦中にあった歌い手の告白です。たとえ苦しさが自分自身を襲おうとも、神よ、あなたはこの私を生かそうとしている。死んだら楽になるのにという願いを、神は叶えてくださらない。それどころか、あなたは私に人生の日々を歩ませようとしている。この苦しみのなかでも。私にはそう読めてしまいます。
 
神はなぜ苦しみのなかを歩むように、私たちを促しておられるのだろうか。生きていれば、そこに何らかの意味があるから。そこには神の人間に対する深い慈愛が込められていることを、私たちは聖書全体を通して理解することができるし、多くの先人たちがそれら理解を通して生きる慰めを得、励ましをいただきながら、次の一歩を踏み出すことができた「意味を問う幸いの歴史」が、私たちに受け継がれているのだと。
 
この幸いを、私たちに味わってほしいと願っておられる神がおられる。神がおられるならば、なぜ神はこの苦しみをすぐにでも取り除いてくれないんだ。私たちの多くはそう思うでしょう。確かに私たちの正直な思いです。しかし、苦しみのすべてというものは、人間が引き起こしたものであると私は思っています。つまり、私たち人間が抱く「ゆがみ」というものが矯正されない限り、苦しみというものは永遠になくならないのだと思います。
 
この苦しみの根源にあるものを、神の存在というものを通して私たちに理解を与え、神がイエスという救い主を通して、私たちをそのゆがみから少しでも解放できるように働いてくださる。この体験を味わえるように、神は私たちを招いてくださるのだと。少しでも苦しみから解放されるために。
 
何かをすれば、多額の献金をしたり、あえて苦行をすることによってではなく、神がそのように働いてくださるということを自分自身の希望として握りしめ続けるだけで、私たちは解放されていくのだと、今日の聖書の言葉を通して、改めて黙想させられます。
 
今日も私たちを苦しみが襲うかもしれません。しかし、その苦しみのただなかに私たちの神が私たちのために生きて働いておられるのだと。そのことを受け取る者とならせてくださいますように。心から祈りつつ、アーメン。

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