17/07/2022

2022.7.17 #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編141編3節
主よ、私の口に見張りを置き
私の唇の戸を守ってください。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
エフェソの信徒への手紙4章29節
悪い言葉を一切口にしてはなりません。口にするなら、聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるために必要な善い言葉を語りなさい。

『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
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今日のふたつの聖書の言葉から、私たちはどのように自分自身から発する言葉に、責任を持たなければならないか。そんなことを黙想したいと思いました。ここ数日、思わされていることがあります。
 
先週の7日間は、カルト宗教という言葉をめぐって、実に多くのことを考えさせられ、言葉をつむぎ、対応をしたり対策をする毎日でした。そこで起きてくる感情は、この状況に何とかして助けとなりたいと思う一方で、重苦しいもやもやとした感情や、怒りの感情というものがほとんどでした。やるせない思いというのが、正直な私の抱えた感情でした。
 
そういうときにこそ、どのような言葉を発さなければいけないか。ものすごい神経を使いました。そうでなければ、私は感情任せに怒りを爆発させてしまう。爆発させてしまうことによって、伝えなければならないことを伝えることができなくなってしまうのではないか。怒りを爆発することは簡単だけど、その怒りを用いて私はどうしたいのか。そんなことをぐるぐると考えさせられました。
 
自分自身の言葉に責任を持つ。言葉を発するために自分自身に見張りを置き、唇に戸を置く。この言葉が、それを伝えようとする相手にどのような影響を与えるか。そのことをワンクッション置いてから言葉をつむぐ。言葉が相手に届くために。相手がそれで建設的な思いを抱いてもらえるように。そんなことをいつも以上に思わされました。
 
それでも残念ながら、自分でもはっきりと認識できる言葉の失敗を何回かしてしまいました。どんなに気を付けても、自分自身の至らなさというものを痛感させられます。しかし、そのような失敗を通してこそ、自分自身の口を通して語られる言葉に、たとえ神という言葉を使わなかったとしても、神の祝福を表現できる者でありたい。新しい一週間を迎える者として、そんな思いをもって、7日間の旅路を歩んでいきたいと思わされました。
 
建設的で建徳的な言葉が、物事の本質を共有できるような神の国の世界が、私たちのあいだに満ちあふれますように。お祈りいたします。

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