13/07/2022

2022.7.13 #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
イザヤ書66章19節より
私は、彼らの中で生き残った者たちを国々に遣わす。私の名声を聞いたこともない、遠くの島々に。彼らは私の栄光を国々に告げる。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
マルコによる福音書16章15節より
全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
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おとといのことです。私がかつて働いていたドイツはケルン・ボン日本語キリスト教会の現牧師である佐々木良子先生からお電話をいただきました。久しぶりに電話で互いの近況を分かち合いながら、とても楽しいひと時をいただきました。
 
コロナ禍のなか、対面での礼拝が制限されてしまったことにより、Skype(スカイプ)によるオンライン礼拝を、ケルン・ボン教会はそれ以来行うようになった(現在は対面での礼拝のときと、オンラインでの礼拝のときを交互に持っているとのこと)と伺いました。
 
そのことによって、ケルン・ボン教会のオンライン礼拝には、遠方の信徒さんや、7~8時間の時差がある日本から、そして現在牧師のいないお隣ベルギー・ブリュッセル日本語教会の信徒さんが集まって、とても豊かな礼拝を持つことができるようになったとのこと。まさにオンラインだからこそ味わうことのできる喜びなのだと、お話を伺いながらつくづく思わされました。
 
今日の旧約・新約聖書の言葉を目にしたときに、いまだ見たことのない、遠くの国々にまで神のもたらす幸いと祝福を告げ知らせるということが、まさかこんな形で、今なされようとは。聖書の言葉が書かれた2000年以上前には、誰もが想像できなかったのではないかと感じさせられます。
 
さて、私は思うのです。遠くの国々、島々まで神がもたらす幸いと祝福という良いたより(福音)を告げ知らせるというのは、決して「キリスト教組織の勢力拡大」ではないし、決してそうであってはいけない。ということです。それよりも大切なことは、神が私たちとともに生きて、私たちのために祝福を注ぐために働いてくださるということが、私たちの世界に分かち合われることなのだと。
 
キリストの救いを全世界に伝えるという世界宣教の働きは、しばしば植民地政策の材料として利用されたことがありました。神の愛や祝福というものが伝えられるどころか、政治的な思惑によって、その地に住む人々は人間による束縛のなか、奴隷のような扱いを受け、苦痛を味わなければならないことが多々あったのは、歴史の記録が伝えるところです。
 
人間の欲望を拡大させるために、宗教を利用させる態度と行動。今、ホットな話題として、統一協会(現・家庭連合)によるさまざまな弊害が報じられているわけですが、世界の平和、家庭の平和と言いながら、一方で献金しなければならないシステムのなかに人々が巻き込まれ、呪いを恐れるがゆえに多額の献金をした結果、その献金が教祖をはじめとする一部の人間たちの私腹を肥やすことになり、信者当人やその家族にまで被害が及んでいることを思うと、本当にやるせない思いにさせられます。
 
私は、教会の牧師という仕事が与えられ、宣教の一端にあずかっている者ですが、今日の聖書の言葉に聴くとき、では、自分はどうして宣教という務めをいただいているのか、そもそも宣教とは何なのだろうか。それが、勢力の拡大であるとか、人間の欲望の実現であるとか、そんなことでは決してないのだということを、常に自分に言い聞かせながら、神がこの世界を祝福し、その祝福によって生きる幸いというものをともに味わうことができるために、遣わされていることを改めて願わされました。
 
今日も、そのような神がおられることを、自分自身の生活で、また私たちの世界のなかで、少しでも輝き、それを分かち合う喜びに導かれますように。お祈りいたします。

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