30/06/2022

2022.6.30 #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
出エジプト記15章2節より
主は私の力、私の盾、私の救いとなられた。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ルカによる福音書1章49節
マリアの言葉:
力ある方が
私に大いなることをしてくださったからです。
その御名は聖です。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
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今日の旧約聖書である、出エジプト記15章2節にある「私の」という言葉は、ほかの聖書では「」「ほめ歌」と訳されることの多いものです。『日々の聖句』の原版である『Die Losungen』でも「賛美の歌」と日本語に訳することのできるドイツ語が用いられています。
 
どうしてほめ歌が盾なのだろうか。そんなことを黙想させられます。ちなみに、今日の旧約聖書の箇所は、モーセをはじめとするイスラエルの民がエジプトの軍勢に追われたときに、海が開いて無事向こう岸に逃げることができ、海が閉じることによってエジプト軍が壊滅したときに、イスラエルの民たちによって歌われた賛美の冒頭部分です。
 
また、今日の旧約聖書の言葉に応じて選ばれた新約聖書・ルカによる福音書1書49節の言葉は、受胎告知を受けたマリアが、神を賛美したほめ歌の一節です。そして、モーセの歌もマリアの歌も、そこで共通して賛美されるのは「神の力と御業」であることがわかります。
 
そう考えますと、モーセをはじめとするイスラエルの民は、自分たちの命を狙うエジプト軍から、マリアは、妊娠することが死罪を意味した未婚の女性であるがゆえに、殺される危険があったという意味で、状況が共通していたと言うこともできます。
 
しかし、イスラエルの民にも、そしてマリアにも、神は「私はあなたを守る」という、まるで盾のような務めを力あふれる御業をもって見せてくださる。それゆえに、賛美の歌を歌うことができたのだと。そう考えれば、神が私の盾となってくださるその力と御業をほめ歌うという意味で、十分つながりを感じることができるのではないか。私はそう受け止めました。
 
私は神を賛美することについて考えました。賛美を通して明らかにされること。それは神が私を、私たちを盾のように守ることで、私たちを愛してくださっている。そのために、救い主イエスを与えてくださったということへの感謝そのものであるのだと、改めて感じさせられます。
 
それが音楽のかたちとなり、文学や芸術のかたちをもって、賛美が告白されていくのだと。私もまた、神が私たちを力強い御腕で優しく抱きかかえてくださることで、善き力にしっかりと守られていることを、日々の生活のなかで実感したいし、実感できることを期待して、また実感できたことを感謝して、賛美する喜びにあふれたいと願わされました。
 
私たちの生活に、賛美が今日もあふれますように。たとえ賛美できないくらいに弱り果てていたとしても、賛美は自分の中から決して消え去ることはないことを信じて、歩むことができますように。お祈りいたします。

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