24/06/2022

2022.6.24 #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編19編8節より
主の律法は完全で、魂を生き返らせる。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ルカによる福音書3章10~11節
群衆は、「では、私たちはどうすればよいのですか」と尋ねた。ヨハネは、「下着を二枚持っている者は、持たない者に分けてやれ。食べ物を持っている者も同じようにせよ」と答えた。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
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今日の旧約聖書、そして旧約聖書からの新約聖書の言葉を黙想して感じたのは、いわゆる「主なる神の律法」の本質というものがどこにあるのかということへの深い洞察と示唆でした。
 
今日の旧約聖書の言葉は、主の律法は完全であり、それは私たちの魂を生き返らせる力を持っているのだという詩人の思いが歌われています。そして、律法とはかつて神がモーセを通してエジプトを脱出したイスラエルの民に与えられた、十戒をはじめとするさまざまな教えや掟を指すわけです。では、律法の何が完全であって、どうだから私たちの魂をリフレッシュさせる力があるというのでしょうか。
 
律法とは、神の人間に対する愛の表明であると言った人の言葉を思い出しました。神の愛はときに人間を良い意味での自由と解放に向かわせ、自由と解放に向かうなかで、人間が苦難の路頭に迷ってしまうことのないように、行くべき道を指し示す。神は、人間に対して本当に幸せな人生を歩んで欲しいからこそ、愛の表明として律法を与えられたということを踏まえれば、「主の律法は完全」という言葉は、神の愛が完全であるという言葉にも置き換えられるのだと、私は受け止めました。
 
ですから、律法を守るということがすなわち、神の人間に対する愛がこの世界にあふれるような方向性に働くのであれば、律法における本来の目的が果たされると思うのです。だからこそ、私たちの魂は神の愛によってリフレッシュされて、その愛が人間関係にあふれ出すのだと思うのです。
 
そのことを踏まえますと、私は律法というものを使って他者をいたずらに断罪し、その人の魂が生き返るどころかスカスカなものにさせていないだろうかと、自分自身が問わされます。その状況における意味も本質も問うことなしに、聖書の言葉を文字面だけでとらえて人に向けて放つのであれば、そこに神の愛はあるのか。聖書の言葉を取り次ぐ務めにある者として、深く考えさせられます。
 
今日の新約聖書の言葉は、神の愛を曲解していたイスラエルの民が、神の愛に歩調を合わせて生きるべく、洗礼者ヨハネに洗礼を授けてもらった後に、では、今後どのような生き方をすれば良いのですかと、人々がヨハネに尋ねているシーンです。ヨハネは言います。施しなさいと。施しというのは、それこそ律法に記されている生活行動でした。
 
しかし、ヨハネが人々に勧めた施しの行為というものは、ただ機械的に行うもの、行わなければその罪が問われるようなことを目的とはしなかった。神の愛が人々の間にあふれるような神の愛に基づいた律法の本質というものを人々に知らせ、神の愛が表明され、あふれ出し、分かち合われる世界を担うことのできる私たちの生き方というものを提示されたのだと私はそのように捉えました。
 
神の愛がこの世界にあふれますようにと祈りつつ、その愛を受けた私自身の生き方を愛の道へと整えてくださいと祈りました。そして、神の示される愛の道を、私たち一人ひとりが共に歩むことで、本当にこの世界が平安へと導かれますように。お祈りいたします。

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