23/06/2022

2022.6.23 #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
エレミヤ書31章7節より
声を響かせ、賛美して言え。
「主よ、あなたの民をお救いください」と。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
使徒言行録4章29節より
主よ、あなたの僕たちが、堂々と御言葉を語れるようにしてください。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
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主よ、私たちの道に、あなたの光を照らしてください。
私たちの心をさわやかにし、あなたへ向かって私たちとともに人生を歩む、すべての人々の魂を励ますことができるようにしてください。
アウグスティヌス
 
ふたつの聖書の言葉にもとづいた、今日の「第三のテキスト(ドイツ語原版である『Die Losungen』にある祈りや賛美のことば)」は、4~5世紀に生きた神学者であり宣教者であったアウグスティヌスの祈りでした。
 
このアウグスティヌスの祈りから思わされたこと。それは、人間を励ましたり元気づけるためには、神によって心がリフレッシュされ、さわやかにされるのが本当に大切なのだということでした。
 
こんなことを思い出しました。かつて働いた教会に属しておられた信徒さんの言葉です。「牧師が輝けば、教会が明るくなる」と。私はその方が語るこの言葉に、随分慰めを受けたものでした。そして、改めてその言葉の意味というものを考えさせられました。
 
牧師という職をいただいている私ですが、私は自家発電機ではありませんので、私自身が発光したり、それで輝くわけでは決してありません。むしろ、時には消極的に、場合によっては輝きとは真逆の、どんよりとした闇をかもし出していることも多々あることを思わされます。
 
しかし、どんなに闇をまき散らしてしまうような素材を持っている私であっても、光かがやく人生を歩むことができるのだというのが、今日の聖書の言葉が伝えるメッセージなのだと受け止めました。私たちの人生の道程に光を注ぎ、行くべき道を示してくださる主なる神がおられるではないかと。
 
牧師が輝くという言葉は、まさに主が放たれる光によって人生を歩もうとするときに、その人生をともに歩んでくれる方々とともに、神によって励まされたり慰められたりしながら、希望をもって人生の日々を歩むことができるように、神は教会という共同体を与えてくださったのだと、だから教会が明るくなるということが言えるのだろうと改めて実感させられました。
 
なにも、牧師や教会だけに限りません。私たちの生きる場はいかなる形を取ろうとも、神が照らされる光によって、私の心がさわやかにされ、賛美を奏でながら神の言葉に耳と心を傾けて、身の回りに生きる方々とともに生きることができるのだと。
 
今日の新約聖書にある「堂々と御言葉を語れるようにしてください」というのは、聖書の知識を蓄積して、その蓄積を披露するといった意味ではないと私は思います。もちろん、私たちは神の御言葉に生かされます。しかし、言葉は私たちを励まし、慰めるための神の働きなのだということを、何よりも大切なものとして受け取りたい。そのように思ったのです。
 
私たちの人生に潤いを与えるべく、生きて働いておられる神に感謝し、また期待しつつ、今日の一日を歩んでまいりたいと心から願い、また祈ります。どうぞ素敵な一日でありますように。お祈りいたします。

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