21/06/2022

2022.6.21 #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編8編3節より
あなたは幼子と乳飲み子の口によって砦を築かれた。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
マタイによる福音書21章15~16節
祭司長たちや律法学者たちは、イエスがなさった不思議な業を見、また、境内で子どもたちが叫んで、「ダビデの子にホサナ」と言うのを聞いて腹を立て、イエスに言った。「子どもたちが何と言っているか、聞こえるか。」
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
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私はよく覚えていないのですが、幼い頃親に連れられて誰かの家に行くと、帰り際、私はそこの家の人に「お土産はないの?」と言っていたんだそうです。帰りに何かを持たせろと言わんばかりの(実際に言ってしまっているわけですが・・・)、何とも礼儀知らずの言葉だと、振り返っては思わされます。母親が笑いながらそのときの話をしてくれます。
 
こどもは大人のように、周りの空気を読むとか、そういうことをすることはありません。自分の思ったことを、自分の思ったように、自分の表現方法で言ったり行ったりする。その素直さが良かったりすることが、しばしば私たちの日常のなかであったりするのを、私たちはよく知っていると思います。
 
今日の聖書の言葉ではありませんが、大人たちの集まるところで、子どもがイエスに近づきます。大人は子どもはあっちに行けと扱おうとすると、イエスは子どもを抱き寄せ、子どものように神の国を求める者の幸いについて語られました。イエスの持つ価値観というものは、子どものような素直さを抱くことの大切さに触れているのです。
 
さて、今日の聖書の言葉です。旧約聖書の・詩編にあるひとことは、神が子どもたち、まだ言葉を発することすらできない乳飲み子の口から砦、つまりご自分の力というものを明らかにされたという歌です。知恵の言葉を話すことはできない。大人たちの集団のなかでは、何とも空気の読めない物言いかもしれない。しかし、神はそのような知恵も知識も遠慮も配慮もなんもない、しかし、素直に生きるその口から、ご自分の知恵と力を示されるというのです。
 
そのことが、今日の新約聖書の言葉になりますと、もっとストレートに知らされる物語として、私たちにその意味が明かされます。イエスを良しと思わない人々は、子どもたちがイエスによる救いをわらべ歌のように賛美しているのを見て、イエスに憤慨したというストーリーです。イエスを殺そうと思っていたくらいに憎んでいた人々は、子どもたちの口から出る言葉にも怒りをあらわにしますが、子どもたちから真実が語られたことも事実だったのです。
 
私は黙想します。大人になればなるほど、さまざまな経験や知識が蓄積されることによって、それはこの世を生きるための知恵となり、過酷な世の中を生きるために無くてはならないもののように思えるかもしれません。しかし、その分素直に生きるということからは離れてしまってはいないだろうか。周りの空気や調和、ときには圧力というものを感じてしまうがゆえに、神が与えてくださる幸いというものを思いながらも、それを口にし、自分の生き方で表現することにはばかってしまうような自分自身はないだろうかと。
 
子どものような素直な喜び、神がご自分の言葉を通して私たちに語られる豊かさというものを、私の生き方としたい。そんなことを願わされました。そういうところには、神はご自分の知恵と力をふんだんに注ぎだし、真実が喜べるような世界をつくりだしてくださる。そんな神のなさることに期待して、今日という一日を歩んでまいりたいと願います。
 
皆さんの一日にも、そのような神の豊かさが皆さんを通してあふれ出しますように。お祈りいたします。

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