16/06/2022

2022.6.16 #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
出エジプト記23章25節
あなたがたは、あなたがたの神、主に仕えなさい。そうすれば、主はあなたのパンと水とを祝福する。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
マタイによる福音書6章31~32節より
だから、あなたがたは、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い煩ってはならない。あなたがたの天の父は、これらのものがみな、あなたがたに必要なことをご存じである。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
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今日の聖書の言葉を通して思わされたこと。それは、私たちの衣食住に神が祝福するとは一体どういうことなのだろうか。ということです。そのことを黙想してみたいと思いました。
 
イエスは人々に言われました。飲食や生活のことで思い煩うことがあってはならないよ。天の父なる神は、私たちの必要をすべてご存知なのですから。
 
この言葉を、私たちはどのように受け止めることができるのでしょうか。衣食住の思い煩いというものは、大体はそれが欠乏した時に起きるのではないかと思うのです。経済的に苦しいときに、私たちは思い悩むのではないか。
 
また、たとえ欠乏していなかったとしても、衣食住のことで思いや心がいっぱいになってしまうあまり、本当に大切にしなければならないことを見失ったりないがしろにしたりする場合にも、もしかしたら「思い煩い」という言葉が用いられるかもしれません。この「思い煩う」と日本語に訳した原語には、思い煩うの他に「心配する」もしくは「心を配る」という意味としても用いられるからです。
 
だからといって、もし欠乏のことで心配してしまうその思いに、神はそのままで良いとは全然思っておられないと私は感じるのです。なぜならば、今日の旧約聖書の言葉にもありますように、神は私たちに与えられた「パンと水」、つまり飲食に示された私たちが生きるための生活を祝福してくださる方だからです。あくまで私たちの神は、私たちの生活で本当に必要なものをご存知なうえで、私たちに必要なものを、必要なときに、必要な分だけ与えてくださる方であるというのです。
 
では、現実的に欠乏を感じるときにでも、神が私たちの必要を満たしてくださるとどのように思えるのでしょうか。私たちがどんなに窮乏を訴えたとしても、すぐに神が満たしてくださるなどということは、現実的にあり得ないと感じる場合があります。そんな時に、私たちは神が私たちの願いを聞いてくださらないと思うこともあるのではないか。では、そんな時に私たちはどうすればよいのでしょうか。
 
私はこう黙想させられます。神は私たちが本当に必要とされるベストタイミングをご存知な方なのだということを私たちの希望にして、日々与えられた分を精一杯生きながら、神に期待し続けることなのかなと。
 
今日の旧約聖書には「あなた方の神である主に仕えよ」とありますが、イエスはそれを具体的に、今日の新約聖書の言葉に続いてこう語っておられます。
 
まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものはみな添えて与えられる。
(マタイによる福音書6章33節)
 
大変有名な聖書の言葉です。神に仕えるというのは、神の国、つまり神の持たれる価値観で満たされた世界と、神の義、つまり神が正しい御方であるということを、私たち一人ひとりがその手に握りしめ、胸に抱き期待しながらその日その日を生きるときに、必ず神は私たちに生きる充足感を与えてくださるのだと。そうすれば、これらのものはみな添えて与えられるというイエスの言葉に、今日も心から期待して歩んでいきたい。これが私に与えられた今日の黙想でした。
 
どうか、みなさんの生きる一日も、そのような神への期待に満たされた時となりますように。お祈りいたします。

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