14/06/2022

2022.6.14 #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編127編1節より
主が町を守るのでなければ
守る人は空しく見張ることになる。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
フィリピの信徒への手紙1章6節
あなたがたの間で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までにその業を完成してくださると、私は確信しています。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
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神に守られている感覚というものを、私たちはどのように抱きながら毎日の生活を営んでいるのだろうか。今日の聖書の言葉を通して、こんな黙想に導かれたいと思わされました。
 
主が町を守るのでなければ、どんなに自分自身で守ったとしても、それは空しいもので終わってしまうと詩人は歌いました。守るとは大切にすることに相通じます。つまり、私たちは何を大切にして生きているか。そんな問いへとつながっていくのだと思います。
 
さて、現在お仕えしている教会は、2020年を創立年としています。2つの教会が合併して新たな歩みを始めたという気持ちがあふれており、私もその思いに心から同調しつつ、宣教の務めをいただいています。そのうえで、2つの教会はそれぞれ、1941年(旧・仙台愛泉教会)と1989年(旧・宮城野愛泉教会)という創立年を持っていました。さらに、1941年に創立した旧・仙台愛泉教会は、1906年に創立された「救世軍仙台小隊」をルーツにもっています。まさに116年という長い歴史のうえに、創立3年目の新しい教会の歴史があることを思わされます。
 
何が言いたいかと申しますと、歴史というものはそれを守り大切にする信徒や、教会に招かれ派遣される牧師の協働があってこそのものであると思うのですが、この協働の中心に立たれるのは私たちの神であり、神が私たちにご自分の御心を現わしてくださり、その御心を聖書の言葉であるとか聖霊の助けというものを得ることによって、本当に大切なものを、大切なものとすることができるのだと。
 
教会の歴史というものは紆余曲折、まさに谷あり山ありの歴史をたどっていくのだと思います。1941年から長年仙台愛泉教会の牧師として歩んできた揚野與之助牧師は、仙台に派遣されてきた当日のことを振り返り、こう綴っています。
 
「半年以上も人の気配のなかった家の中には、会堂は勿論、座敷も二階もほこりで歩けない…」
 
それまで30年余り宣教が展開されてきたであろう教会は、300名以上書き連ねられていた会員名簿に記されたお名前の一軒一軒を訪ねても、返ってくる反応はかんばしいものではなかったのだそうです。つまり、死んだかのように見えたかもしれない教会も、神が守ってくださるという御心に立てば、以後80年に至るまで神の善い業が教会を通して働き、それが決して空しいものならずに、教会の歴史は引き継ぎ引き継がれるのだと。
 
ですから、教会がどんな形に変わっていこうとも、主なる神がその真ん中にいてくださり、私たちに大切なことを示してくださることを大切にするならば、神が祝され、導き続けてくださることを、私の希望として歩みたいと思わされました。何も教会だけの話に限りません。家庭も職場も学校も、地域社会も同じことが言えるのだと思うのです。
 
私たちの心の真ん中に神がおられ、その神が私たちを日々御言葉と聖霊で整えてくださることを大切にすることができますように。空しさから脱却させてくださる神の御心を今日も自分の生きる柱とすることができますように。お祈りいたします。
 

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