13/06/2022

2022.6.13 #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編65編6節より
我らの救いの神よ
あなたは義によって答えます。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ヨハネによる福音書14章14節
私の名によって願うことは何事でも、私がかなえてあげよう。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
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私は前に、こんなことを尋ねられたことがあります。

「イエスは、願うことは何事でもかなえてあげようと言っておられるのに、どうして私の祈りは聞いてもらえないのでしょうか。」
 
このような質問を、私は何度も受けたことがありました。このような質問をされる方は、本当に悩み苦しみを抱えておられて、真剣に神に祈りをささげていることがじんじんと伝わってきます。しかし、どんなに願っても、自分の願うように悩みが解消されることがないのです。本当につらいことだと思います。
 
そのような質問に、どのように応えることができるだろうか。こんな話を聞いたこともあります。牧師がこのように返答したのだそうです。
 
「それは祈りが足りないからだ。」
 
いかにももっともらしい答えかもしれませんが、的外れもいいところです。どんなに回数を多くして祈り倒したとしても、大切なのは「どのように祈るか」です。このことなくして、どんなに祈ったとしても、祈りそのものが間違っているならば意味がありません。同じ牧師として自戒させられる実例です。
 
では、どのようにその質問に答えることができるのでしょうか。今日の聖書の言葉によれば、「神の義、正しさ」を理解した祈り、そして「イエスの名」による祈りこそ、神に聞かれる祈りであるということを分かち合えるような答え方をしたいと思わされます。
 
神の正しさは、イエスの生涯を通して明らかにされました。イエスが祈るとき、人に接するとき、トラブルが起きたとき、イエスは何を大切にされたのでしょうか。それは、神がただ正しい御方であり、その正しさをもって私たちを大切にされているということです。そして、神の正しさによって示された愛は、しばしば私たちが求めていることに沿わない場合もあるということです。
 
ですから、私たちは祈っていく過程のなかで、神の御心というものを聖書の言葉を通してであるとか、聖霊の助けを通していただいてくうちに、私自身の願いというものが軌道修正させられていくことがあります。祈りで気づかされていくことは、意外に多くあるものなのだと、祈るたびに感じさせられていくことがしばしばあります。
 
こうして神の御心に近づいたときに、イエスの生き方に自分自身が寄り添われていくことで、私たちは「イエスの名によって」祈ることができるし、そういう祈りに含まれた願いは、必ず神が叶えさせることを、今日の聖書の言葉は私たちに知らせているのだと受け止めたいのです。
 
こういう質の祈りならば、私たちは熱烈に祈ることは何ら間違ったことではありませんし、むしろ祈りを通して神と交わされるコミュニケーションこそ、私たちの生き方が神によって豊かにされていくのだと。そんなことを望み、また神に期待して、今日の一日を歩んでまいりたいと思いました。皆さんの一日にも、そのような神との交わりがあふれますように。お祈りいたします。

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