12/06/2022

2022.6.12 #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
出エジプト記23章2節より
多数に追従して、悪を行ってはならない。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
エフェソの信徒への手紙4章15節
愛をもって真理を語り、頭であるキリストへとあらゆる点で成長していくのです。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
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多数に追従する。今日の旧約聖書の言葉を目にして真っ先に思ったのは「同調圧力」「赤信号みんなで渡れば怖くない」などという言葉でした。
 
私たちはどのような時に、そのような思いにさせられるのでしょうか。自分の心のなかでやましい、良心がとがめるような思いがあったとしても、そのことを言い出せない、行動として表すことができない場合、どうしても強いものに巻かれてしまうような自分自身の決断をしてしまう。そして、多数に追従してしまうのです。
 
さらに加えて言えば、その強い者に対していわゆる「御恩と奉公」のような意識が働いてしまうことがあります。あのときに世話になったのだから、今さら反抗することなどできないという感覚です。そして、強い者に対する「私の愛情」というものが働くこともある。
 
しかし、その愛は神が私たちに示された愛なのだろうか。そんなことを思わされます。愛しているからこそ、真実を共有できるような関係が生まれ、多数に追従して悪の道を歩んでしまうことのないように、是々非々で生きるように促される土台にあるものが、神の愛であると、私は今日の聖書の言葉を通して改めて痛感させられました。
 
愛と甘えというものが表裏一体なものとなりうるときに、キリストの愛がぼやけてしまう。そんなことを想うことがあります。キリストの愛というものは、私たちすべてに徹頭徹尾働き続けていることは、聖書を通して私たちに伝えられるメッセージですが、実はキリストの愛というものは、愛に簡単にすり替わってしまうような人間の甘えとは全然違うものであることを知らされます。
 
ご自分の命を痛みと苦しみのなかで私たちにささげてくださった厳しさがある。この厳しさこそ、多数に飲み込まれることなくただただ私たちの命を救おうという一点において突き進まれた、イエス・キリストの愛なのだと。
 
この愛において、私たちは主の御心によって是々非々の態度を示し続けることこそ、キリストの愛によって成長させられていくということなのだと、自分自身のうちにある、なにもかもうやむやにしてしまうような甘さを真摯に見つめつつ、キリスト自身が負われた厳しさの結果としての愛を、心からいただきたい。その愛をもってこの一週間の始まりを迎えたいと願わされました。
 
今週も、そのようなキリストの愛が真実を明らかにし、私たちもその真実をもって生きることができますように。心からお祈りいたします。

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