31/05/2022

2022.5.31 #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編106編4節
主よ、あなたの民に与える恵みによって
私を心に留めてください。
救いによって私を顧みてください。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
エフェソの信徒への手紙4章7節より
私たち一人一人に、キリストの賜物の秤に従って、恵みが与えられています。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
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今日の旧新約聖書に共通する言葉は「恵み」であると私は受け止めました。神が私たちの一人ひとりに、それぞれに見合った恵みを与えてくださる。そして、私たちを顧み、その心にとどめ守ってくださる。いにしえの信仰者たちは、こう私たちに伝えています。
 
新約聖書の言葉に「キリストの賜物」という言葉が登場します。新約聖書が書かれた原語によると、賜物という言葉は、恵みという言葉を語源としていることが分かります。賜物とはプレゼントのこと。それも、その人だからこそ特別に与えられるギフトのことを表しています。
 
この賜物のことを、原語であるギリシア語で「カリスマ」と言えば、私たちも納得します。しかし、同時に私たちはカリスマという言葉を特別視するあまり、なんの取り柄もない私にはカリスマなはずがない。そんな賜物が与えられていないと、自分自身を振り返っては嘆いてしまうようなことはないでしょうか。
 
今日の新約聖書の言葉には、キリストの賜物の「秤にしたがって」とあります。ここが今日の聖書の言葉を考えるうえで重要なポイントであると考えています。つまり、キリストは私たち一人ひとりを髪の毛一本までご存知である神の存在を私たちに知らせ、その神の思いを完璧に私たちに示されるお方です。だから、そのキリストが、私たちにオーダーメイドの賜物をお与えくださっているのです。
 
ですから、もし私にはなんの取り柄もないと思うのであれば、キリストが与えられる賜物が何かに、十分に気づいていないだけなのかもしれません。その気づきを与えてくださるのが、キリストその御方であるということを、私たちは心からの期待をもって、今日も祈り求めていきたいと願わされました。
 
今日の詩編の祈りのように、神からの恵みに気づく心を、そして私たち一人ひとりが救われる喜びを、今日も味わうことができますように。お祈りいたします。

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