哀歌3章22~23節
主の慈しみは絶えることがない。
その憐れみは尽きることがない。
それは朝ごとに新しい。
あなたの真実は尽きることがない。
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
コリントの信徒への手紙二4章16節
だから、私たちは落胆しません。私たちの外なる人が朽ちるとしても、私たちの内なる人は日々新たにされていきます。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
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私事ですが、去る木曜日に開催された、宗教法人アシュラムセンター常任運営委員会に出席するため、水曜日から今朝がたまで、滋賀・近江八幡にあるアシュラムセンターに滞在しておりました。静かな環境のなかで、ゆっくりと心を落ち着かせながらの数日間を過ごすことができました。今は、東京に向かう新幹線のなかで、今日の黙想をつづっているところです。
滞在中、アシュラムセンターを創立した「ちいろば先生」こと、故・榎本保郎牧師のお連れ合いである和子さんと交流する機会をいただきました。御年96歳の和子お母さん。耳が遠くなり眼も見えにくくなったと仰ってはおられますが、それでも笑い声の絶えない心から愛するお母さんです。本当に楽しいひとときをいただくことができました。
初めて和子お母さんにお目にかかったときに、一冊の『日々の聖句・ローズンゲン』を見せてもらいました。和子お母さんは、毎日ローズンゲンを用いて黙想されて、決して広いとは言えない余白の部分に、びっしりと黙想の文章が書き連ねられていました。和子お母さんは仰られます。「私が死んだときに、こんなのを残しておくのは恥ずかしいから、神に召される前にぜーんぶ捨てて、それから神様に召されるのよ」と。
100歳近くになり、ご自身の死というものをリアルに感じられることもあるのでしょうが、どうしてこんなに若々しく、孫くらいの私と気張らず偉ぶらず話ができるのだろうか。そんなことを思ったときに、ああ「日々新たにさせられる」とは、こういうことなのだなと心から感じさせられました。
人生のなかで、いくらでも落胆することがある。和子お母さんもご自身の回想で、そのように仰っておられます。しかし、たとえ体力が落ち、思うように自由が利かず、朽ちていく途上であったとしても、日々新たにさせられていく。今日も神が与えてくださる新たな命に活かされて歩むことができる。和子お母さんの姿にふれて、私もそのような者になりたいと、強く願わされました。
今週も今日で終わり、また明日から新しい一週間が始まります。その備えの一日として、今日も決して絶えることのない神の慈愛と真実が、私たちを生かしてくださいますように。お祈りいたします。
いいお話ですね~ 心からアーメンです!
返信削除谷道さん、もし機会があれば、是非近江八幡へ御足を運んでみてくださいませ!静寂のなかですてきな黙想を深めることができますし、和子お母さんにもお目にかかることができると思いますよ~。
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