13/05/2022

2022.5.13 #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編30編3節
わが神、主よ、私があなたに叫ぶと
あなたは私を癒やしてくださいました。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
マルコによる福音書5章19節より
イエスは癒された人に言われた。「自分の家族のもとに帰って、主があなたにしてくださったこと、また、あなたを憐れんでくださったことを、ことごとく知らせなさい。」
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
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今日の旧約・新約聖書を貫くテーマは「癒し」であると受け止めました。この言葉について、黙想を深めてみたいと思います。
 
聖書には癒しについての記述が実に数多くあることに気づかされます。特にイエスは宣教活動の重要な柱のひとつとして「癒しの業」をおこなわれました。身体の癒し、心や思いの癒しを通じて、その人が神を賛美して生きることができるように、人々を導きました。
 
イエスが人々を癒された目的は何だったのでしょうか。ただ病気が治癒すればそれで良いというものではありませんでした。命が与えられていることの原点に帰って、命の与え主である神の慈愛をほめたたえることでした。そのように癒された人々の気持ちが向くべく、決して無理強いすることなく、しかし、イエスはそのように導かれました。
 
私たちはさまざまな「癒し」に出会います。医学的な面から、心理学的な面から、またスピリチュアルな方面から、さまざまな癒しがこの世の中に散在していることを、私たちは知っています。そして、実際に癒される経験を味わうこともあるでしょう。私は、それら数々の癒しを全否定する気はありませんし、私自身も癒しを求めるべく、医療行為を受けたりすることも間違いありません。
 
そのような現状のなかで、私はどのように神がイエスを通して与えてくださる癒しというものを、どのようにバランス感覚を大切にしながら、肯定的に、積極的に受け取り、自分自身のものとすることができるだろうか。そう黙想させられるのです。
 
神が与えてくださる癒しなど、本当に「効き目」があるのだろうか。世の中はそのような評価をくだすかもしれません。そのような世の中に対して、もし神による癒しというものが世の中に輝く光として、多くの人々の希望となるのでしょうか。
 
私は、このように思わされました。今日の新約聖書の言葉で、イエスが癒された人に対して、そのことを家族に知らせなさいというひとつの指示を与えています。この言葉から、私は自分が味わった癒しの経験、それがどんなに些細なものであったとしても、その味わった経験を旨として、生きていくことなのだろうなと。
 
今、癒されていることを感じることができなかったとしてもいいのだと思います。かつて味わった経験に帰れば、それは癒しを胸にして、大切にしていることにつながり、そのような姿勢を、神は必ず祝して、癒しへと向かわせてくださることを信じたいと思わされました。
 
今日の一日もまた、神が与えてくださる癒しが、この世界を照らしてくださいますように。お祈りいたします。

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