12/05/2022

2022.5.12 #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
ヨブ記10章12節
あなたは私に命と慈しみを授け
私を顧みて、私の霊を見守りました。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ヤコブの手紙5章11節より
あなたがたは、ヨブの忍耐について聞き、主がもたらした結末を知っています。主は憐れみに満ち、慈しみ深い方です。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
******
 
今日の聖書の言葉は、旧約聖書に登場するヨブについて触れられている箇所です。悪魔の挑戦的な命題によって、ヨブは災いをこうむりました。家族も財産も失い、病におかされたヨブにとって、何を頼りに生きていけば良いのか。そんなときにヨブが告白した言葉が、今日の旧約聖書の言葉です。
 
ヨブは神に呼びかけます。あなたは私に何を与えたか。家族か、財産か、祝福か。いや、なによりも命を与えられたではないか。命を与えただけで見捨てられるような方ではない。慈しみを与えたではないか。私を顧みてくださっているではないか。そして、私を見守り続けてくださっているではないか。
 
ここで、ヨブは苦難の中にきらりと光る希望に、自分自身の視線を集中したいという願いを抱いていることがわかります。苦難のときに希望など見いだせないからこそ苦難なのです。苦しい時にそんなこと言ってられるかと、私なんか考えてしまいます。
 
ヨブもそうであったかもしれません。なぜ私がこんな目に遭わなければいけないんだと、思ったに違いないのです。同じ人間ですから。しかし、行きつく先は神が何を私に与えたかという深い黙想から生み出された、今日の聖書に示されたヨブの告白だったのではないか。私は少なくとも、そのように思いたいのです。
 
私たちはヨブ記を通して、その後ヨブがどのように自分自身を守ってくださる神がおられるかを心の底から実感します。そこには生きる喜びもあり、また自分自身の罪をも悔い改める姿をみることができます。神が中心に立たれ、ヨブを守られたとき、ヨブはこれまで以上の神の守りと祝福を経験しました。そのことを、私たちは聖書から知ることができるのです。
 
主のもたらした結末。今日の新約聖書に書かれているひと言は、まさに私たちが安心して神の守りに自分の身と心を委ね、今、現実に起きていることに落胆することがあっても、その落胆をすらすべてご存知であり、なおも私たちを慰め、励まそうとする神がともにおられることを、今日一日を生きるための柱、糧とすることができるのだと。
 
そんな思いをもって、今日の一日を黙想しつつ歩んでまいりたいと願わされました。皆さんの一日にも、是非そのような希望に向けられた実感を神が与えてくださいますように。お祈りいたします。

0 件のコメント:

コメントを投稿