11/05/2022

2022.5.11 #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
サムエル記上3章19節より
主がサムエルと共におられたので、その言葉は一つたりとも地に落ちることはなかった。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ルカによる福音書10章16節より
イエスの言葉:
あなたがたに耳を傾ける者は、私に耳を傾けるのである。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
******
 
今日の旧約聖書の言葉にある「地に落ちる言葉」とは一体何なのだろうか。そのことを今日は黙想してみたいと思います。

私たちが聖書から、地に落ちる言葉について見るときに、有名なのはイエスによって語られた「種まきのたとえ話」かもしれません。種になぞらえた神の御言葉が4種類の土壌に蒔かれたときに、種はどのような成長を遂げたか。私たち一人ひとりは土壌であり、自分たちの持つ土壌とはどのようなものかについて、考えさせられる聖書の言葉です。
 
一方で、今日の旧約聖書の言葉は、神がイスラエルの指導者サムエルと共におられたので、神の御言葉は、サムエルの外からこぼれ落ちて、地に落ちることはなかったという意味で、土壌が用いられています。つまり、御言葉という種を蒔いても、全体の4分の3は十分に育つことがなかった。良い土に蒔かれた4分の1の種こそ成長し、実りをもたらした。
 
つまり、その土壌とはまさに、神の御言葉を受け入れたサムエル自身の心のことを指しているのだと受け止めることができると思うのです。
 
私たちの心の土壌もそのようでありたい。私はそのように心から願うのですが、現実はそうもいかない。種まきのたとえ話のように、4つ聞いたら1が心に根付く、いや、100個の言葉を聞いて、やっと1つを理解できるかどうかというくらい、私の心の土壌はやせ細っているのかもしれません。
 
にもかかわらず、神の言葉に聴き、その言葉に生き続けることができるのは、今日の旧約聖書の言葉にあるように、まさに「神が共におられるから」のひと言に尽きません。私のために忍耐強く付き合い、寄り添ってくださる神が私とともにおられる。100粒の種の1粒だけだったとしても、それが育てば共に喜んでくださる神が、こんな私とともにおられる。
 
サムエルが経験した「神の言葉が一つたりとも地に落ちることがなかった」というのは、私たちがそれをこぼさないで生きることができるかどうかという、完璧な態度を求めている言葉というよりは、地に数多くこぼれ落ちてしまうような状況のなかでも、たった一粒でも心に神の言葉が根付くことへの大いなる幸いを示した言葉なのではないか。そのように黙想させられました。
 
この世界で、多くの大切な言葉がこぼれ落ちてしまう現実があります。しかし、ほんの少しの言葉が世界を変えることだってあるのは、その言葉に神が共にいてくださることへの実感があるからに他なりません。今日もその言葉が、豊かに私たちの心に根付くことができますように。お祈りいたします。

0 件のコメント:

コメントを投稿