22/04/2022

2022.4.22 #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
歴代誌上22章16節より
直ちに実行しなさい。主が共におられるように。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
使徒言行録4章33節
使徒たちは、大いなる力をもって主イエスの復活を証しした。そして、神の恵みが一同に豊かに注がれた。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
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「みこころ病」という言葉を聞いたことがあります。なんのことでしょうか。
 
神の御心が分からないと、いつまで悶々とする状態のことなのだそうです。御言葉を開いても、祈っても、何をしても分からない。そうしているうちに時だけが過ぎていき、神は私を見捨てているのではないかと思い悩んでしまうというのです。
 
みこころ病について触れた、ある牧師は言いました。そんなのやってみないと分からない。やってみて、うまくいかなかったら神の御心を求めて方向転換すれば良いのだし、本当に神の御心だったら、そこには平和が訪れる。それだけなんです、と。
 
結局のところ、私たちには神の御心なんていうものは誰も100%分かりえません。だから、私たちは、決断したことが神の御心であると「信じて」歩む以外にないのだと思うのです。
 
ただし、そのときに大切なことがあります。まずは、信じるに至った根拠がどこにあるのかが明確であるかどうかです。もっと具体的に言えば、聖書の言葉に示された本質というものに基づいているかどうかということです。
 
このことを明確にしていないと、私たちは、簡単に自分の感情を容易に神の御心にすり替えてしまいます。そうなると、信じてやまないことを絶対化してしまう。神の御心であると私が信じることは、絶対化することを厳に慎まなければならないということです。
 
そのために、御言葉に真剣かつ謙遜な思いをもって聴く態度というものが求められるわけであって、聖書の言葉に触れ続けることによって、神のセンスというものを養い続けることは、本当に必要なのだと痛感させられます。
 
そうすれば、先に申し上げた通り、信じてやまないことでも、それを放棄する思い、引き返す勇気、もう一度神の御心がどこにあるのかを探求しようとする謙遜な態度が、私たちに与えられます。それはみこころ病への予防という意味で、とても重要なことであると思うのです。
 
今日の旧約聖書の言葉は、非常に鮮烈なものでした。直ちに実行しなさい。とても大胆な言葉です。みこころ病にあれば、絶対にこんなことはできません。
 
しかし、心配いりません。たとえそのことで失敗したとしても、神が私とともにいてくださるのだから、引き返して神の御心を求め、信じて、また歩めば良いだけなのです。神の視点から見る失敗とは、何かをして失敗をすることではなく、失敗を恐れて何もしないことです。
 
実際に、反対と迫害のなかにあっても、イエスの復活を心から信じてそれを大胆に宣べ伝えた使徒たちは、神の大いなる力が使徒たちを支えたからこそ、失敗にひるむことなく宣教に進むことができました。その結果、神の恵みがあふれたと、今日の新約聖書の言葉は伝えています。
 
神の御心を信じて、その信仰に対して機敏に反応できるような思いを神が与えてくださることを信じて、今日の一日も歩んでまいりたいと思います。神の助けがともに、豊かにありますように。お祈りいたします。

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