14/04/2022

2022.4.14 #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
イザヤ書45章23~24節より
すべての膝は私の前にかがみ
すべての舌は誓い
私について、「正義と力は主だけにある」と言う。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ヨハネによる福音書6章51節より
イエスは言われる:
私は、天から降って来た生けるパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
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教会の暦では、今日は「洗足木曜日」と呼ばれる一日です。イエスが十字架に架けられる前夜、彼は弟子たちとの最後の食卓(晩餐)を囲んで、そこで深い交わりのときを持たれました。
 
家に到着したイエスと弟子たちは、砂ぼこりにまみれた足を洗います。しかし、このときだけは違いました。イエスが弟子たちの足を洗われます。汚い足を洗うのですから、決して気持ちの良いものではありません。
 
弟子たちは恐縮しました。しかし、イエスは手を休めることはありません。イエスによる洗足の行為は、人が嫌がることをするということに主眼を置いているのではなく、あくまで向こう側にいる一人ひとりへの深いご自身の愛情から、ただそのようにするのでした。
 
こうして、彼らは食卓につきました。パンとぶどう酒が供されました。そこで、イエスはパンをこれは私の体、ぶどう酒を新しい契約によって立てられる私の血潮と呼ばれました。パンを食べ、杯を飲むこの行為で、弟子たちはイエスがともにいてくださる経験を味わいました。ただ、その意味を本当に気づけたのは、もうちょっと後の話になりますが・・・。
 
さて、イエスはご自分のことを「命をつなぎ、支えるパン」であると、これまでも弟子たちに語っておられました。本日の新約聖書の言葉が、まさにそうであると言えるでしょう。天から降ってきた生けるパン。それは出エジプトの時代に、空腹にあえぐイスラエルの民のために、神が天から「マナ」というパンのようなものを降らせたことを彷彿とさせます。こうして、神は私たちの命を支えるために、必要なものを降り注いでくださいました。
 
そして、今やイエスご自身が「天からの生けるパン」として、私たちに与えられました。永遠へと命をつなぐパンとしてです。では、私たちにとって生けるパン、永遠を保証するパンは、具体的にどのように与えられるのでしょうか。
 
私は、それこそ、神が与えてくださったご自分の言葉に示された、本質と真実であると受け止めたいと思います。聖書の言葉を、ゆがみなく、文字面だけで受け止めずに、イエスが私たちの足を洗われるような思いを受け取るように、聖霊に示された正義と力をいただきつつ、今日も神の言葉に聴くことの幸いを味わっていきたいと、願わされました。
 
着実にイースターの喜びへと近づいている私たちの一日に、今日も神様の平安と祝福が豊かにあることを心から願い、お祈りいたします。

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