13/04/2022

2022.4.13 #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
ミカ書5章3節より
彼は今、大いなる者となって地の果てにまで及ぶ。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ヨハネによる福音書12章24節より
イエスは言われる:
一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
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誰かが犠牲になられなければ、多くの人の幸せにはつながらないのだ。
 
失敗をしなさい。
これは、私が初任地でのつとめを終えて、ドイツへ宣教師へ赴くときに、ある牧師が「はなむけの言葉」として贈ってくれた言葉です。
 
普通、はなむけの言葉といえば、もう少し気の利いたものであったりするものですが、その牧師は違いました。失敗をしなさい、と。そして、その牧師はこうも言いました。どうか、これを皮肉と受け止めないでほしいと。
 
成功、とまではいかなくとも、次の任地ではよい働きをしたいと願うのは当然のことです。しかし、私はドイツの地で宣教をして気づかされたことがあります。良い働きというのは、必ずしも人々の称賛を受けるような、成功体験だけとは限らない、ということをです。
 
失敗をすること。このことで、私は大切なことを知らされました。そう。見た目には十字架で殺された「失敗者」こそ、実は全世界を救うために自らの命をそのようにしたのだと。それが救い主イエスでした。イエスは失敗者のように見えて、実はそうではなかった。
 
良い働きには犠牲がともなう。しかし、その犠牲とは他者を犠牲にして、その踏み台の上にのし上がることではありません。自分が犠牲になること。自分が損をすること、失敗すること。しかし、その犠牲が、多くの実を結ぶ。まさに、今日の新約聖書の言葉が私たちに伝える通りです。
 
しかし、私は失敗を失敗と悔やみ、そのことで苦味をいつまでも引きづっている。しかし、それは自分自身がそのような失敗体験を許せないからなのでしょう。そのようなプライドが、失敗から良いものが生まれることを拒んでしまっている。いや、そうではないのだと。十字架上で殺されたイエスこそ、復活の命をもって、全世界の救い主になったではないか!
 
今から10年前に、失敗をしなさいと告げてくれた牧師の言葉を思い出しました。そして、それは本当に皮肉の言葉ではなかったと、思い起こしては感謝するばかりです。今日も、私たちのために一粒の麦となってくださったイエスがともにおられる。そのことを胸に抱いて、一日を過ごしてまいりたいと願いました。
 
皆さんの一日に、イエスがともに、豊かにありますように。お祈りいたします。

2 件のコメント:

  1. ピンポイントでいただきました。感謝します。いま試練のなかにおられるMSさんのため、特別に覚えてお祈りおねがいします。

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    1. けくちゃん、おはようございます!
      一日遅れのお返事、スミマセン。MSさんのために、是非祈りたいと思います。神の適切な導きがMSさんとともにありますように!

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