09/03/2022

2022.3.9 #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
箴言8章13節より
主を畏れることは悪を憎むこと。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
エフェソの信徒への手紙2章10節より
私たちは神の作品であって、善い行いのために、キリスト・イエスにあって造られたからです。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
 
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正義を愛し、悪を憎むということ。
 
とても美しい言葉に聞こえます。しかし、これほどいい加減な言葉もない。私はそう思えてなりません。人によって何が正義で何が悪か。そのあまりにもの違いに、私の心は痛むからです。
 
ロシアによるウクライナ侵攻、それをめぐる世界の動き。この状況一つひとつを見ても、正義はどこに、悪はどこにあるのかという見解の違いが、このような戦争を生んでいるのだと。ロシアの政治家集団には、彼らなりの正義があり、それを批判する側には、彼らの正義があり、悪への見方がある。
 
そのうえで、本当の善悪はどこにあるのかを、私たちはしっかりと見据えていかなければならない。今日も、神は私たちに告げ続けます。私たちを造られた神が何者であるかを見つめなさいと。私たちが神の手によって、イエス・キリストにあって造られたというのは、どういうことなのかを、考えなさいと。
 
自分の正義を主張する前に、その主張は何を根拠に基づいた言動なのかを、吟味しなさいと。その言動が、本当に神がこの地に、私たちに、私に願っていることなのだろうかと。神の御心を聴き取る前に、自分の正しさだけを押し付けてはいないだろうかと。
 
神による問いかけが、矢継ぎ早に私の心に投げかけています。正義、そして悪をめぐることは、遠い国の話ではなく、実は自分自身の問題に他ならないのだと。そのときに、私は何のために、そのような自分自身の問題に向かい、そして闘う必要があるのかを、考えずにはいられないのです。
 
私たちは神の作品であると、今日の新約聖書の言葉は私たちに伝えます。神はこの作品をいい加減な気持ちで作ったのではく、「とても良かった」と絶賛できるような最高傑作品として、私たち人間を造られたのだと。そのような最高傑作品として、私たちは作者の思いとともに歩んでいるのだろうかと。
 
神様、私はそう歩んでいない自分自身を悔やみます。懺悔せずにはいられません。しかし、神様。あなたは、そんな私にもイエスを与えてくださいました。あなたの作品になれたことを喜べるように、私たちの心に希望を与えてくださったのはあなたです。
 
神様、今日もあなたの作品として、方向転換できる一日を与えてくださって、ありがとうございます。どうか、あなたの平和で私を、私たちを、世界を満たしてください。私たちを愛をもってつくられた、イエス・キリストのお名前によって。アーメン。

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