コヘレトの言葉8章8節より
死の日を支配できる人はいない。
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
マタイによる福音書6章27節あなたがたのうちの誰が、思い煩ったからといって、寿命を僅かでも延ばすことができようか。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
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たとえこの目で、行く末を見ることができなかったとしても、いかに神を信頼して、与えられた日々を歩むことができるだろうか。
今日与えられた二つの聖書の言葉は、そんな思いを私のなかに起こさせました。今の教会での働きもあと3週間となり、いよいよ終わりを感じるときにあって、この聖書の言葉は必要なのだ。そう思ったのです。
人の死は、誰も支配することができない。本当にその通りです。この聖書の言葉は、人間はいつ死を迎えるかは分からないという意味とともに、死後にわたってこの世界に影響を与えたり、支配することは決してできない。死を受容することの大切さを伝えているのだと、私は思うのです。
死とは、この世界では終わりを示すと同時に、神の領域を示す言葉であるとも思うのです。つまり、死とはすべてを神に委ねる機会なのだと。どんなにやり残したことがあったとしても、これからのことをすべて神に委ねるところにこそ、大きな意味があるのだと。
やり残したこと。そこにはどうしても悔いや思い煩いが生じます。私自身、やり切ったという充実感とともに3週間後、この教会を去るというふうにはどうしてもなれません。いろいろな後悔の念や不全感というものが、なんとなく付きまとっている自分自身を感じるのです。
しかし、今日の新約聖書の言葉は、思い悩むな。与えられた今日という一日を精一杯生きなさい。まだ見えぬ先のことに思い煩うのではなく、なせるだけなして、あとは神にお委ねする生き方こそ、神の国と神の義を求める生き方なのだ。そんなイエスの励ましが聞こえてきました。
私たちの生き方、世界の行く末。つきまとうのは不安ばかりかもしれません。しかし、私たちの不安を不安のままにはしておかれない神が、私たちとともにおられるということを、今日を生きるための希望とすれば、神の平和が満ちあふれるための一歩になることを信じたいと願います。
どうか、この地がそのような思い煩いから少しでも解放されますように。そして、あなたの御心と平和に委ねつつ、今日の務めに、心を向けることができますように、私たちを導いてください。神様、あなたのご親切に心から感謝します。アーメン。
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