12/03/2022

2022.3.12 #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編33編6節
天は主の言葉によって
天の万象は主の口の息によって造られた。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
使徒言行録17章25節より
神は、何か足りないことでもあるかのように、人の手によって仕えてもらう必要もありません。すべての人に命と息と万物とを与えてくださるのは、この神だからです。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
******
 
神は森羅万象をつくられた。
 
聖書の自然観・人間観は、すべて神が創造主であるというところから出発します。この考え方は、現在の科学が提供する進化論とは全く逆の考えであることは、皆さんもご存知の通りです。
 
では、神が天地万物をつくられたという考えは、進化か創造かという二者択一的な論争だけを生み出すものなのだろうか。私は今日の聖書の言葉を通して、そのように考えさせられました。私は、神がこの世界を創造されたということを通して、大切なメッセージを受け取りたいと思いました。
 
それは、私たちの命をはじめとする自然界・動物界など、さまざまな「いのち」は、決して私たちの独占物ではない、ということです。このことを勘違いしたところに、人間のエゴがあり、支配欲・独占欲が生じ、ついには争いや分断が生じる。歴史における人間の常です。
 
今日の新約聖書の言葉に、ギョッとする表現がありました。「神は、何か足りないことでもあるかのように、人の手によって仕えてもらう必要もありません」というひと言です。
 
神がこの世界に対して期待しておられるその御心に、私たちもまた期待します。期待すること自体、全然悪いものではないのですが、そこに自分自身の願望やこだわり、期待というよりは自分自身の欲というものを、「私にとって」何か物足りないからと言って、付け加えてはいないだろうか。そんなことを思いました。
 
そういう場合の欲は、大体は人間が持つ支配欲・独占欲に起因していると私は思っています。そのような欲を持っていない人は誰もいません。多かれ少なかれ、私たちはそういう欲を持っています。「人の手によって」という聖書の言葉は、私たちの心や思いの有様といううものを自己吟味するためには、無くてはならない問いのひと言なのだと。
 
今、ウクライナで起きていること、コロナ禍によって分断されたさまざまな出来事、そうでなくても、普段から私たち人間のあいだで起きている様々ないさかい。どれをとっても、神が私をつくられた、私たちをつくられた、この世界をつくられたという感覚が抜けきったところにこそ、そのような争いが生じるのだと。あたかも、自分が創造したかのように、振る舞ってしまうから。
 
神がいのちの息を与えてくださった。その息吹によって私は生きるとき、神の息遣いというものを自分自身がいただいている命の源とすることができる。神の息吹によって、神の言葉が語られ、聖霊の息吹が私たちに神の御心を注ぎ込んでくださる。
 
この息吹によって生きるならば、神がこの世界を創造されたときに「とても良かった」と言われたように、世界が楽園のごとく、平和な状態へと導かれるのだと。創造というひとつの出来事は、実はすべての平和に導く前向きな営みのために、無くてはならない考え方なのだと、今日の御言葉が私の心に突き刺さりました。
 
神様、今日も私をつくられたという、あなたの出来事に感謝します。あなたの息吹が私を生かす。あなたの言葉と霊の助けで、この私を不健全な欲のかたちから解放してください。そして、解放されたところにこそ、平和をも創造されることを信じ、期待して、今日という一日を歩ませてください。イエス・キリストのお名前によって。アーメン。

0 件のコメント:

コメントを投稿