05/02/2022

2022.2.5 #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編33編12節
幸いな者
主を神とする国民
主がご自分のものとして選んだ民。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ガラテヤの信徒への手紙4章6~7節
あなたがたが子であるゆえに、神は「アッバ、父よ」と呼び求める御子の霊を、私たちの心に送ってくださったのです。ですから、あなたはもはや奴隷ではなく、子です。子であれば、神による相続人でもあるのです。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
 
******
 
神は、私たちをどのように扱ってくださるのか。今日の旧新約聖書を通して、私たちをご自分のものとしてくださる神、私たちを子としてくださる神の御姿に、黙想の思いを寄せてみたいと思いました。
 
神のものとされる。そこには、神がいつくしみと真心を込めて、私たちを大切にしてくださるということを願い、また想像します。大切にするからこそ、どのような扱い方をしてくださるのだろうかと、私は思うのです
 
ドメスティック・バイオレンス(親密な関係性のなかで起こる暴力)のことを思わされます。暴力者はしばしば「愛しているからこそ・大切に思うからこそ」との理由から、暴力を正当化することがあります。では、果たしてそれが、神の視点から本当に正しいことなのか。
 
余談になりますが、聖書、特に旧約聖書を見ていますと、神が人間を死に至らせるような記述をしばしば見かけることがあります。罰をくだす、懲らしめを与えるといった暴力的にも見えるイメージです。ですから、キリスト教の世界でも権力による暴力が、それが神の愛だから、あなたが大切だからと、神の権威と人間の持たされている権力を混同してしまう。
 
しかし、そんなものは愛でもないし、大切にするということでもない。私も牧師という、言ってみれば権威と思われてもおかしくない立場に就く者ですが、つねに神の権威によって牧師という仕事をするとはどういうことなのか。神が私たちを真心を込めていつくしまれるという意味を考え続けていかないと、本当におかしなことになると自戒します。自戒しても失敗するくらいですから。。。
 
神は基本的に、人間の行動をがんじがらめにされることはありません。どのように生きたら良いかということを常に提示し、それを教え、道を示されるということをされるだけです。人間がそれをどのように受け止め、受け入れ、それを取捨選択するかという自由を与えています。でも見守る。見守り続ける。それが神の人間に対する扱い方なのだと思わされます。
 
そして、人間が神を頼るときに、神はその思いにいつくしみと真心をもって応えてくださる。なんの掛け値なしに「アッバ(お父ちゃん)!」と呼びかける、私たちのピュアな声にです。そのような親子関係があるならば、私の生活も平安なものになるのだろうと黙想しました。
 
そんな一日でありたいと願います。皆さんの一日にも、神のいつくしみと真心がともに、豊かにありますように。

0 件のコメント:

コメントを投稿