15/02/2022

2022.2.15 #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編14編1節より
愚か者は心の中で言う
「神などいない」と。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本せつ新約聖書のことば
ヨハネの手紙一5章20節より
しかし、神の子が来て、真実な方を知る力を私たちに与えてくださったことを知っています。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
 
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神などいない。
 
イスラエルの王ダビデによって歌われた詩は、大変衝撃的なものであると同時に、この世界の現実を私たちに知らせています。
 
ダビデは、神などいないと主張する人々のことを「愚か者」と呼びます。愚か者とはなんでしょうか。別な聖書では「神を知らぬ者」と訳しているものもありますが、この言葉から、愚か者という言葉は、私たちが知る、つまり、知識のない状態のことを指していると言えるでしょう。
 
知識は理解を生むことで、初めて知るという言葉が私自身のものになる。これは、聖書の言葉を文字面で覚え、暗唱できたとしても、その意味をかみしめ、味わい、自分自身の生きる源、栄養とならなければ、そこには意味はありません。
 
ですから、教えられること、育てられること、つまり、教育されることは、私たちが神を知るためには無くてはならないことである。今日の旧約聖書の言葉は、私にその自覚を訴えるものでした。
 
ダビデの言う愚か者は、「心の中で」神などいないと言う者のことを指しています。つまり、表面的には神を知っている、神への信仰を表している、そのように見えていても、誰も見えない心の内実では、神の御心を理解できないでいる。自分自身がつくり上げた神をあがめている。自分がつくる神とは、まさに偶像であり、それをあがめれば、結果的に偶像礼拝となってしまう。
 
だからこそ、聖書と聖霊の助けによって私たちが神から教育される目的とは、本質を知ることだと。本質に生きるならば、自分好みの神をつくり、結果として自分自身をあがめようとする愚かさから離れることができるのだと。
 
本質は、救い主イエス・キリストが私たちのもとに来られ、私たちと共に生き、私たちに大切なことを具体的に教育されることによって、明らかにされました。イエスが弟子たちをつくり、育てることを、次の弟子を育てるために委ねられた。この連続が、今日に至っている。今日の新約聖書が示している「真実な方を知る力を知る」とは、まさにこのことを物語っていると言えるでしょう。
 
私は、果たしてこの本質に生きるために、何をしているだろうか。イエスという方の生き方を本当に理解し、自分の生き方としているだろうか。そして、イエスの弟子として生きることを、心から望んでいるだろうか。知らず知らずに愚か者への道に進んでいないだろうか。などなど・・・。
 
今日の聖書の言葉は、私にそんな黙想を次々と与えました。自分自身のふがいなさを自覚しつつも、しかし、そこに決して自分自身を責め落とすのではなく、そのためにイエスが今日も私のために働きかけてくださっているのだと、心から期待し、感謝の思いをもって一日を生きていきたいと、神に祈ることができました。
 
神の本質に生きる幸いが、今日も世界が平和になる原動力となりますように。お祈りいたします。

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