14/02/2022

2022.2.14 #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
詩編108編2節
神よ、私の心は確かです。
私は歌い、ほめたたえよう。
私の栄光よ
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
コロサイの信徒への手紙1章11~12節より
光の中にある聖なる者たちの相続分にあずかる資格を、あなたがたに与えてくださった御父に、喜びをもって感謝するように。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
 
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私の心は確かです。
 
今日の旧約聖書・詩編108編2節の言葉に、黙想を深めてまいりたいと思いました。私の心が確かとは、いったいどういう状態のことを指すのでしょうか。
 
日々の聖句の原著であるローズンゲン(Die Losungen)では、「私の心は準備ができている」という意味の言葉が用いられています。また、『新改訳2017』では、「私の心は揺るぎません」と訳されています。「私の心は確か」という意味のイメージが広がります。
 
私の心が揺るがないとは、なんとうらやましいことかと私は思いました。私はちょっとしたことで自分の心が揺るぎ、翻弄されている自分自身を常に見い出しては、なんと不信仰な者なのだろうと、いつも思わされています。
 
そんな優柔不断で意志薄弱な私にとって、「神様、私の心は確かです」と告白できることは、ある種、私の憧れです。そんなふうに告白して、神を賛美できるような一日でありたい。そう願わされるのです。
 
私の心を確かにするのは、私自身の意志によってでしょうか。そんなことを考えるときに、今日の新約聖書の言葉は、それは私自身ではなく、私自身に確かな救いの希望を与えてくださった神であることを、私たちに伝えています。
 
光のなかにある聖なる者たちが受け取ってきた神の恵みを、私たち人間に相続させてくださったのは、何を隠そう御父なる神なのだと。私の心を準備万端に、確かなものとしてくださるのは、私の心をすべて御存知である神なのだと。
 
ある牧師がこんなことを話してくれました。牧師になる前の若い頃、どうしても聖餐のパンと杯を受け取ることができなかった。こんなに悪い心にまみれている私が、イエスさまのからだと血潮をいただくわけにはいかない。そう思ったのだそうです。
 
その方は、自分の牧師にその悩みを打ち明けました。牧師は答えました「だからこそ、あなたはパンと杯を受け取る資格があるんだよ」と。私のために、神がすべて準備してくださっている。だから、私は心を確かにして歩む安心感が芽生えるのだと。
 
私の心は確かであるという言葉の背後には、神が私たちのためにご自分の心を準備万端にして、私たちを命の日々へ立たせてくださっているのだ。だから、私は心を確かにして、神を賛美し、今日も聖書の言葉に裏打ちされた神のなさることに、両手両足をいっぱいに伸ばして、歩むことができるんだ受け止めました。
 
私の心を整えてくださる神様がおられるがゆえに、今日も生きることを喜び、神に感謝して歩みたい。そんな連鎖と連帯がともにあることを、心からお祈りいたします。

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