詩編71編8節
私の口はあなたへの賛美に満ち
日夜あなたの誉れをたたえます。
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
マタイによる福音書12章34節より心から溢れることを、口は語るのである。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
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心から溢れることを、口は語る。
イエスは、この言葉を語られるにあたって、人の心に何があるのかということを、私たち一人ひとりに問うておられます。詳しくは、マタイ福音書12章33~37節の言葉に、それを見ることができます。例えば、
「毒蛇の子らよ、あなたがたは悪い人であるのに、どうして良いことが言えようか。およそ心から溢れることを、口は語るのである。」(34節)
「人は自分の話したつまらない言葉についてもすべて、裁きの日には責任を問われる。」(36節)
「あなたは、自分の言葉によって義とされ、また、自分の言葉によって罪ある者とされる。」(37節)
といった具合に、人の良い心から生じる言葉には神の正しさがあふれ、悪い心から生じる言葉には、裁きの責任が問われ、罪が明らかにされるということを、イエスは弟子たちに告げられました。
自分の発する言葉を支える心の動機がどこにあるのか。私は、今日の聖書の言葉をいただいたときに、どんなに美辞麗句を立て並べたところで、人の目はだませたとしても、神の目にはすべてが見通されているのだということを、改めて痛感させられる機会となりました。
もちろん、意図的に人をだまそうなどということが無かったとしても、私の心は、神の思いや願いといった御心というものに、つねに自分自身を整えて、合わせて生きようと願うことで、結果的にそのような欺きから解放されるのだと思わされました。
常に聖書の言葉で自分自身のあり方を吟味し、確かめ、神に祈るなかで自分の姿を謙遜に見つめ、聖霊の助けによって、自分自身が神の義、つまり正しさによって生きるように整えられ、変えられていくことを、心から願いたい。
そういう心から生じる言葉というものが、神の喜びがあふれるような賛美に通じる言葉になるのか、人を惑わし、神の平安を失わせ、利己的で偽善の言葉となるのか。まずは、心のうちを真摯に見つめることのできる一日でありたいと願い、神に祈りました。
明日は主の日。世界中の教会で神の言葉が語られ、分かち合いがあることでしょう。その一切が、神の祝福に満ちあふれたものでありますように。お祈りいたします。
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