01/02/2022

2022.2.1 #日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた本日の旧約聖書のことば
列王記下19章30節
ユダの家に残り、難を逃れた者は
再び根を下ろし、上に実をつける。
 
旧約聖書に応じて選ばれた本日の新約聖書のことば
ローマの信徒への手紙11章16節より
根が聖なるものであれば、枝もそうです。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用・利用
 
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今日の旧新約聖書を貫くテーマは「根」であると受け止めて、この言葉に黙想の思いを向けてみたいと思います。
 
根は普段、私たちの目に見えることはありません。しかし、目に見える樹木や草木をしっかりと支えているのは、紛れもなく根であることを、私たちはよく知っています。
 
ですから、私たちの見える部分の良し悪しというものは、いかに根がしっかりとしているかということに、すべてがかかっていると言って間違いないと私は思うのです。そのときに、では、根とは私たちにとって何を意味するものなのか。ここに問いを向けてみたいのです。
 
今日の旧約聖書にある、ユダの家に残る。それは神が立てられたユダ王国のことを指します。そこに残るとは、どういうことなのでしょう。その王国内にいたからすべてが守られるという意味ではありません。現にユダ王国は、見た目には神とともに歩んでいるように見えましたが、実際にはそうでなかった。だから滅亡してしまいました。根腐れしていたので、立派に見えるものは打ち倒されてしまったのでした。
 
そのようななかで、ユダの家に残り、難を逃れた者の存在がある。神の御心にしっかりと根を下ろしていた人々は、根腐れすることもなく、暴風雨やあらゆる力に打ち倒されることもなく、その場に根を下ろし続けて、実を結ぶにいたったのだと。
 
根が聖なるものであれば。今日の新約聖書が語る根とは、聖なるものであればという言葉が私たちに向けられています。聖なるもの。神を指し示すこの言葉に思いを集中したいと思います。
 
見えない部分で、聖なる神の御心に基づいた思いや心が、しっかりと私のうちに根ざしているだろうか。神の言葉が指し示す本質に根差しているだろうか。聖書の言葉と連動して、聖霊なる神が私を助け、導いてくださることに、私自身が本当に信頼と期待の念をもって生きようとしているだろうか。。。
 
そのような自問自答の念が、私のうちに尽きないことを是非願いたいのです。なかなかそういう思いに至らないわたし自身を発見し、自覚することができるし、そのように生きようと思ったときに、必ず神は生き生きとした枝葉を付け、花を咲かせ、豊かな実を結ばせてくださるのだと、その希望に生きたいと思ったから。
 
見た目に華々しく、にぎやかで、活発なように見えたとしても、ちょっとした困難で簡単に崩れ去ってしまうようであれば、自分を支える根がどの方向に根差しているのか、確かめることのできる絶好の機会なのでしょう。その自覚に、必ず神は応答してくださるのです。
 
今日一日の歩みが、神の深みにしっかりと根を下ろす思いによって、過ごすことができますように。

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