09/04/2026

2026.4.9(木)#日々の聖句#ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日のの旧約聖書のことば
ゼカリヤ書7章10節
寡婦、孤児、寄留者
貧しい者を虐げてはならない。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
マタイによる福音書25章34~35節
そうして、王は右側にいる人たちに言う。「さあ、私の父に祝福された人たち、天地創造の時からあなたがたのために用意されている国を受け継ぎなさい。あなたがたは私がよそ者であったときに宿を貸してくれたからだ。」
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句LOSUNGEN』より引用

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皆さん、おはようございます。
三日ぶりの黙想となってしまいましたことを、どうぞお許しください。なかなか黙想をつづる時間を取ることが叶いませんでした。年度替わりのお忙しいときを、皆さんもお過ごしになられているかもしれません。どうぞそのような時にあって、心とお身体を神が守ってくださいますように。お祈りします。
 
今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句に共通する言葉は「寄留者に対する支え」についてでした。そのことについて、今日得た黙想をつづりたいと思います。
 
寄留者、もしくは「よそ者」と表現されている言葉ですが、自分たちの囲いにはいない、いわゆるアウトサイダーのことを指すものです。それは、物理的なものを指して使われていたことも確かですが、精神的な意味でも、自分がのけ者にされ、ないがしろにされているように感じるような場合でも、私たちは「よそ者」という言葉を用いることができるのかもしれません。そのように自分自身が感じたときに、疎外感というか、心寂しさのようなものを、私たちは感じることがあるのではないかと思うのです。
 
神が、そしてイエスを通して語られた言葉には、まさに、そのような人々こそ、神のみ心にあって大切にされるべきであることを、今日の聖句は私たちに思い起こさせます。そして、同時に、私たちの心のなかで、よそ者と言えるような対象に対して、よそ者をよそ者扱いしてはいないだろうかという、私たちの態度というものが問われているような気がしてならないのです。
 
私自身、誤解を恐れず申し上げるならば、さまざまな理由で疎外感というものを覚えることがあります。自分のことをわかってくれないと寂しさを覚えたり、悲しみや怒りのような感情に発展することさえあります。だからこそ、その寂しさをわかってくれる人の存在を求め、そのような人が現れたときに、心の慰めや安らぎというものを得ることができるのです。そのようなことは、今までもいくたびもなくあったことを思い出せます。
 
そのことを踏まえて考えれば、私にとって究極的に、すべてを御存知である神がおられるということを知っただけで、それは大きな慰めとなっていることは確かですし、実際には神が与えてくださる御自身の価値観というものを共有できる方々の存在や言動が、どれだけ自分自身にとって助けになっているだろうかということも、私にとっては大きな力となっているのです。よそ者と感じるものの、実はよそ者などではないのだということを自覚できる一瞬が、ここにあることを想わされます。
 
だからこそ、神がその昔から、寡婦や孤児、そして寄留者の存在というものに私たちの関心を集中させて、他者に対してもそうであることと同時に、自分自身のうちに襲い来る孤独に対しても、神がともにいてくださることを心から感じとることによって、その神の思いを共有することこそが、そのような者たちへの私たち一人ひとりの態度につながっていくことを、神御自身が私たちに気付かせようとしてくださっているのでしょう。
 
そのように、今日の聖書の言葉を通して、私は受け止めたいと思いました。
 
今日もご復活の主とともに、そのような自分自身のうちにあるものを確かめながら、歩むことができますように。祈りつつ、一日を過ごしてまいりたいと思います。皆さんも素敵な一日でありますように。心からお祈りします。

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