くじによって選ばれた今日のの旧約聖書のことば
イザヤ書42章6節
わたし、主は、義をもってあなたを召し、あなたの手を握る。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
マタイによる福音書17章5節
すると、雲の中から、「これは私の愛する子、私の心に適う者。これに聞け」という声がした。
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句2026』より引用
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皆さん、おはようございます。
三寒四温とはよく言ったものだというくらい、暖かくなったり寒くなったりと、天気が安定しないこの頃ですが、そんななかでも健康が守られ、健全に神とともに歩むことができますように。心からお祈りします。
今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句を通して、私が受け止めたいと思ったこと。それは「握られた手を、私たちは握り返すことができるか?」というものでした。そのことについて黙想をつづりたいと思います。
私たちは握手をすることがあります。握手は、握られる手を私たちが握り返すことで成り立つ行為です。つまり、どんなに強く手を握手はられたとしても、その手を握り返さない限り、握手となることは決してありません。それは私たちの握力の問題ではありません。私たちが「手を握る気持ち」というものが、本当にあるかどうかというところにこそ、握手という行為が指し示す本質があります。
神は私たちの手を握ってくださった。これが、今日の旧約聖書のことばが私たちに伝えていることです。それは、私たちを造り、私たちを大切にし、それゆえに私たちひとりひとりを招かれようとする神の思いそのものである、ということです。神は私たちにつねに手を差し伸べて、私たちをしっかりと守ろうとしておられる、ということなのです。
そのような神の招きに対して、私たちはどうあることが大切なのでしょうか?しっかりと握り返すことができます。たとえ、握るだけの力が無かったとしても、握りたいという気持ちを相手に伝えることもできるでしょう。その一方で、差し伸べられた手を振り払うこともできるでしょうし、握られていることを「無かったことのように」して、歩むこともできます。つまり、私たちの側に、その選択が委ねられているということなのでしょう。
そのことが、今日の聖句が言わんとしていることなのだと、私は受け止めました。イエスが、弟子たちとともに暗闇の山へ出かけた時に、夜の空はまばゆく光りました。その光のなかから聞こえたのは、父なる神の声でした。その神から語られた言葉が、今日の新約聖書のみことばです。神は言います。「これに聞け」と。
イエスが私たちのために与えられたという事実は、まさに「神が差し伸べられた手」の具体的なかたちでした。その手であるイエスの言葉と行いを私たちが受け取り、私たちがその手を握り返すことができるかどうか。これこそ、「これに聞け」という神の私たちに対する語りかけであり、期待なのであると。四旬節2週目を迎えた今日、私たちひとりひとりに「神と握手すること」の大切さを伝えているような気がしてなりません。
伝えられたことを、私自身が自分自身にとって大切なものとして、しっかりと握り返したいという思いを大切にして、神とともに歩む者でありたい。これが、今日の私が受け止めたいと思ったことでした。皆さんのひとりひとりの手が、神としっかり握り合わされることで幸いな思いへと導かれることができますように。そのことを祈ります。どうぞ素敵な一日をお過ごしください!
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