くじによって選ばれた今日のの旧約聖書のことば
申命記29章28節
隠されたことは、私たちの神、主のものである。しかし、現わされたことは、とこしえに私たちとその子孫のものである。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
コロサイの信徒への手紙2章2~3節
それは、彼らの心が神の秘儀であるキリストを深く知るようになるためです。知恵と知識の宝はすべて、キリストの内に隠されています。
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句2026』より引用
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皆さん、おはようございます。
最初に、皆さんにお詫び申し上げなければならないことがあります。昨日のローズンゲン黙想ですが、2月16日(月)のものではなく、翌週の2月23日(月)のものであることのご指摘を受けました。ご指摘くださった方には深く感謝しつつ、皆さんにはご迷惑をおかけしました。本当に申し訳ありませんでした。
なお、黙想はこのままにしておきます。そして、2月23日に2月16日の聖句黙想を掲載したいと思います。似たような間違いを繰り返し、まことにお恥ずかしい限りです。今後ともお付き合いのほど、よろしくお願いします。
今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句に共通するワードは「隠された」というものでした。そのことについて黙想をつづりたいと思います。私はこの言葉を、「私たちの想像や現実をはるかに超越した神のみ心」というふうに捉えたいと思いました。
私たちは、究極的に神のみ心というものを知ることはできません。知ることはできないけれど、すでに与えられた聖書の言葉や、歴史が織りなした神と人間との物語を通して類推をして、それが神のみ心と「信じて」行動をするのです。もちろん、そのような私たちの行動には、聖霊のお導きというものがありますから、私たちは祈って、神のみ心を求めるということが行われるその営みのなかで、神のみ心により近づいた言動ができることを心から望み、また信じてそうするのです。
しかし、だからと言って、私たちが神のみ心を100%理解し、それを実行することは絶対にあり得ません。たとえ神のみ心が示されたとしても、私たちの認識のゆがみが、それを改変させてしまうことなど、いくらでもあるのです。私たちが「罪びと」である以上、私たちの世界に完璧は無いのです。完璧にことを成し、そして生きられたのは、イエス・キリストただお一人なのです。
だからこそ、私たちでは完璧に理解することのできない神のみ心には、必ず「隠された部分」があるということを、私たちは心から認めて、神が働かれるスペースに対する深い信頼を寄せることこそ、私たちの信仰生活には大切な営みであるということなのです。それは、自己絶対化というものを避ける大きな助けとなります。自己絶対化とは「自分が神となる」ことなのです。
隠されたという言葉は、新約聖書の原語であるギリシア語では「ミュステリオン」という語が用いられています。現在でも「ミステリー」という英語が用いられますが、そのもととなった言葉です。そういう意味で言えば、神のみ心は実にミステリーなのです。しかし、ミステリーがやがて明らかにされるときが来る。その時に、それは私たちの確信となって、私たちの現実の世界に、神がともに臨まれることを知れるようになるというのです。
私たちは神が働かれるスペースというものを、自分自身のなかで大切にしたいと思います。目の前で起きる出来事に一喜一憂するのではなく、そのなかで、神が最良の指し示しを私たちに与えられるということに心から期待しつつ、神のミステリーに心を寄せたいと願わされました。皆さんのすべてに働かれる神の守りが、やがて平安へと豊かに結び合わされることを、心からお祈りします。
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