くじによって選ばれた今日のの旧約聖書のことば
イザヤ書44章22節
私はあなたの背きの罪を雲のように
罪を霧のようにかき消した。
私に立ち返れ。
私があなたを贖ったからだ。
旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
ヨハネの手紙一3章5節
イエス・キリストは罪を取り除くために現れたのだということ、そして御子の内には罪がないのだということを、あなた方は知っています。
©ベテスダ奉仕女母の家『日々の聖句2026』より引用
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皆さん、おはようございます。
今日も私たちの行く道を導いてくださる神が、ともにいてくださいますように。心からお祈りします。
今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句を通して、私が受け止めたいと思ったのは、「罪」についてでした。そのことの黙想をつづりたいと思います。
そもそも「罪」とは何か。今日の旧約聖書の言葉はそのことを明確に示しています。それは「神への背き」である、ということです。神が私たちのために与えられた「よいもの」に対して背を向けて、わが道を歩もうとするならば、それは「自分自身が『神』となること」への始まりであり、それが「罪」であると、聖書は一貫して私たちに伝えています。
それは、神が私たちに示し続けてくださった愛といつくしみ、憐れみ、忍耐、そのことが私たちの目に見えるように、命の贖い主、救い主として与えてくださったイエス・キリスト、そのイエスが新たな信仰共同体をつくられ、それが教会というかたちとなって現在まで継続されていること、その教会を導く聖霊の働き。それらすべては、神が私たちに与えられた「よいもの」である、ということなのです。
それらよいものを「よいもの」として受け入れ、「よいもの」として私たちが預かったものを健全に用いてこそ、神と歩調を合わせる生き方となるのでしょう。しかし、この世界において、それを私たち人間は健全に用いていないのです! 自分の都合の良いように解釈して、自分自身で、自分好みの神をつくりあげてしまうのです。自分自身の神をつくりあげたときに、私たちは神に背を向けて歩んでいることに、もはや気づけないでしまっているのです。
だからこそ、私たちは自分自身の信仰のあゆみというものを、じっくりと検証する必要があるのです。自分自身の心のうちにあるものを、正直にさらけ出したときに、その正直な思いに神は必ず応え、ご自分が与えられた道というものを歩むことができるように、導いてくださるのです。そのために、イエス・キリストが私たちにために与えられました。具体的な生き方というものを指し示されました。罪の道を私たちが歩むことのないようにです。
ですから、私たちはイエス・キリストの提示された道というものを、自分の生き方とすることが、何よりも大切なことなのだと。これが、今日の新約聖書が示しているメッセージであると私は受け止めました。私自身も今日の歩みのなかで、そのことを神の助けを得ながら、祈りつつ体現していきたいと願わされた次第です。
少しでもゆがみのない世界となることを心から望みつつ、私たちのひとりひとりが主とともに歩むことができますように。この一日のすべてに、神のよいものがあふれますように。祈りつつ歩むことができますようにと、祈りたいと思います。どうぞ素敵な一日をお過ごしください。
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