31/12/2025

2025.12.31(水)#日々の聖句 #ローズンゲン 聖書のことば

くじによって選ばれた今日の旧約聖書のことば
詩編147編14節
主はあなたの領土に平和をもたらす。

旧約聖書に応じて選ばれた今日の新約聖書のことば
マタイによる福音書5章9節
平和を造る人々は、幸いである
その人たちは神の子と呼ばれる。
『聖書 聖書協会共同訳』より引用

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皆さん、おはようございます。
いよいよ2025年も最終日を迎えました。最後をしめくくる一日を振り返りつつ、今日の一日を過ごしてまいりたいと思いますが、私自身も今年はいろいろと変化があるなかにあっても、こうして最終日まで信仰と健康が守られ続けてきたことに、ただ感謝する一年だったと思っています。もちろんやり残したこと、積み残したこともいろいろあるのですが、それらは来年へ持ち越しつつ、年越しを迎えたいと思います。
 
さて、今日のローズンゲンに示されたふたつの聖句を通して、私は「平和」という共通するキーワードについて考えてみたいと思いました。そのことについて黙想をつづりたいと思います。
 
今日の旧約聖書である詩編147編の聖句に注目したいと思います。ここで「領土」と訳されている言葉ですが(ヘブライ語原語:ゲブール)、長く日本語聖書では「国境・地境」と訳されてきた言葉です。ドイツ語聖書でもそのように訳されています。つまり境界線を表す言葉が「領土」と訳されていることに、大きな興味を覚えました。
 
実際に辞書で調べてみると、もともとこのゲブールというヘブライ語は「よじれたひも」という意味の言葉なのだそうです。そこから境界線を表す言葉として用いられるようになり、その境界線を囲むエリア、つまり領土と解されるようにもなったようです。
 
つまり、境界線が平和であれば、その領土そのものも平和となるというひとつの示唆を、今日の詩編の言葉は私たちに教えてくれているのだと私は受け止めることができました。このことを踏まえて、領土を「私」という言葉に置き換えて考えてみるならば、こんな風にとらえることができるのではないかとも思えるのです。
 
つまり、「あなたと私のあいだにおける平和」は「私自身の平和」そのものであると。つまり、私が平和になるのであれば、私自身の平和だけでは駄目なのだと。他者と私との関係性が平和であるならば、私自身も、あなた自身も平和となる。ごくごく当たり前のことなのでしょうが、このことを改めて思うことの大切さというものを実感させられるのです。
 
私だけが平和であれば良いという考えは、究極的に平和では無いのでしょう。自分さえ良ければ良いという感覚は、かならず人間社会にゆがみを生む原因となります。2025年もなおも続く戦争をはじめとする私たち一人ひとりの人間関係にいたるまで、どれだけ私たちは平和を愛し、またそれを構築しようとしてきたか。こういうことをじっくりと振り返りたいのです。
 
だからこそ、境界線を見つめようではないか。今日の詩編の聖句はそのことを私たちに示すものなのだと思うのです。境界線における平和は、結果的に私たち自身の平和につながるのだと。そしてその平和は神である主ご自身のものであるということを心から信じて、お互いが神の与えられる平和を愛し、それを希求し、そのことを実践していく。だからこそ、イエスは「平和を『造る』人々は、幸いである」と、「造る」という私たちの責任を明らかにし、しかも造るための源として、そのような人々が「神の子」と呼ばれると告げられることによって、神を源とする私たちの平和という言葉を強調されたのでしょう。それが、今日の新約聖書の言葉が言わんとしていることなのだと、私は心から受け入れつつ、2026年へとつなぐ一日としたいと思わされたのでした。
 
皆さんの大晦日もまた、来年へ希望をつなぐにふさわしく、平和に満たされた一日となることができますように。神である主にある平和を心からお祈りします。今年一年も大変お世話になりました。また来年もどうぞよろしくお願いいたします。

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